暮らしやライフスタイル系に今必要なのは、皮肉でありパロディ。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近よく思うのですが、今の「暮らし」や「ライフスタイル」系のジャンルに必要なのは、皮肉でありパロディのような気がします。

同じく、暮らしやライフスタイルをテーマにしている媒体をみていると、たまにくどくて観ていられない時がある。

誤解を恐れずに言えば、自分たちが運営しているメディアでさえ、たまに胸焼けを起こしてしまいそうになる時もあります。

そんな時に必要なのが、皮肉でありパロディだと思うんですよね。今日はそんな話です。

何事においても緩急が大切。

「はいはい、でたでた。またこれね…。」

本来自分の好きなジャンルのはずなのに、途端に滑稽に思えてしまうことがある。

本質をついているかどうかとはまた別の話。たとえそれが本質をついていたとしても、そこにギューッとよってしまい正義が一つになってしまっている感じを見せつけられると、途端に「気持ち悪い、気色悪い」って感じてしまうことがあります。

何事も緩急が大切なのでしょう。健全な皮肉や批判、パロディがあることというのは、実はとても大切なこと。

矛盾していると思われるかもしれないけれど、それも含めて共生体をつくっていかない限り、コミュニティや業界というのは、長続きしないものなのだと思います。

適度な批判や皮肉があるからこそ健全に機能する

それは、芸能界におけるお笑い芸人的なポジションなのかも知れないですし、モノマネ芸人のソレなのかもしれません。

芸能界を見ていてもわかるように、適度な批判や皮肉があるからこそ健全に機能するし、飽きずに観ていられる。

じゃあ、具体的にどこまでのパロディを許容するのかというのはとても難しい問題ですが、たとえば少し前に流行っていた「上質な暮らし(笑)」というのは、あまりセンスのない皮肉だなとは思っています。

でも例えばキムタクにとって、ホリの「ちょ、待てよ!」っていうのはモノマネはきっと必要だったし、キムタク自身が自分の存在をどこか否定するような「Pちゃん」というキャラクターは、キムタクがキムタクになるために絶対に必要だったと思うのです。

最後に

じゃあ、もしそこにヒントがあるとすれば、徹底的に突き詰めた人によるパロディがその一つの答えになるのかなぁと。

ものまね芸人さんって「大好きだからめちゃくちゃ研究しました!」ってよく言うじゃないですか。

ただ小馬鹿にするだけではなく、そういった人たちから生まれてくる愛のある皮肉やパロディが出てくることによって、それが健全な共生体を創り上げていく時に欠かすことのできない要素になってくるのかなと。

センスのある皮肉、センスのあるパロディ、センスのある脱力感…。かなり難しい話ですが、この山をひとつ越えていかない限り、このジャンルはこれ以上伸びていかないだろうなぁと漠然思ったりするわけです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

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