プロとはなにか。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

ここ数年で仕事柄、ウェブや出版関係者など、いわゆるメディア業界にいる人たちと会う機会が一気に増えました。

そんな中最近良く思うのは、メディアを運営している人たちも、同じ人間なのだということ。今日はそんなことについて少し書いてみようと思います。

「そして、メディアは日本を戦争に導いた」を読んで。

お盆中に以下の本を読みました。

自分がメディア側の人間じゃなければ「当時のメディア終わってんな!これはあり得ない!完全にメディア側が悪い!」っていうテンプレみたいな感想を持って、読み終えていたのかもしれません。

しかし、当時のメディアを運営していた人たちの間にも複雑な人間関係が広がっていて、自分たちと変わらない一人の人間が作っていたのだということは容易に想像ができます。

そう考えると、なぜ「メディアの中立性」が成り立たなくなってしまったのか、具体的に言えば、なぜジャーナリズムが事実上政府の広報機関に成り下がってしまったのかという理由もなんとなく理解できてしまうなと。

「司法権の独立」にも似ている。

この感覚が何かに似ているなと思い、自分の過去を振り返ってみたら、大学時代に勉強していた法律の世界にも非常に似ているなと思いました。

「司法権の独立」という話を学んでいた時にも、同じような印象を抱いたのです。理屈で言えばまさにその通りなんだけれども、そこには僕らと同じように複雑な人間社会が広がっていて、一筋縄ではいかないということを、当時学生ながらに少しだけ理解できたような気がしています。

どうしても僕たちは、聖人君子のような人たちが裁判官を務めていて、聖人君子のような人たちが大学で法律を研究していると思い込み、そんな空想を頭の中に描いてしまいがち。しかし、実際にそこにいるのは、自分と変わらない人間だということです。

プロとはなにか?理想を失わない現実主義。

だからこそ、原理原則に基づいて、そこで導かれる理想的な姿に近づき、いかにその姿勢を貫き通せるかということが何よりも重要になってくるのだと思います。

その業界内では「メディアの中立性」や「司法権の独立」なんて、そんなものは絵空事であって、机上の空論だと馬鹿にされるかもしれません。

それでも、どうすれば少しでもその理想に近づけるのか、それを常に問い続け、その趣旨目的からしっかりと理解し、「実際にはそんなことはあり得ないかもしれない」という現実問題もしっかりと直視した上で、まっすぐに突き進もうと決意できる。

これが本当の意味でプロのあるべき姿なのではなかろうかと。

そして、このことが「理想を失わない現実主義」という話にも繋がるような気がしています。

最後に

素人がプロと遜色ない機材を使い、同程度のものをつくり上げることができ、尚且つそれを“商品”に変えて、稼げてしまう、飯が食えてしまう。

そんな時代だからこそ、プロフェッショナルというのは、作品のクオリティや技能の高さでもなく、もちろん知名度や肩書なんかでもなく、そういった志しを常に貫き通す事ができる人たちのことを言うのではないのかなぁと。

そんなことを漠然と考える今日この頃です。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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