さて今回は、前回僕が書いたエントリー「柳井正著『現実を視よ』を読んで」の続きです。
前回、書き残した疑問は・・・
- なぜ、柳井さんのような方の意見を鵜呑みしてはいけないのか?
- なぜ、トップダウン型でワンマン経営のどデカい企業はなくなると考えるのか?
- なぜ、企業が人を使うのではなく、人が企業を使うようになるはずなのか?
- なぜ、彼らのようなクレイジーな人々は、もっと小回りの効くようなクリエイティブなことを始めるのか?
その答えになるかはわかりませんが、今日はこの辺に関して考察していこうと思います。
ではまず、もしスティーブ・ジョブズが今生まれ変わって20前後の若者として今の世を生きていたら、これを読んで下さっている皆さんは彼に何を望みますか?
僕らであれば、今までの価値観をガラっと変えるようなことを彼にして欲しいと願います。それはつまり既成概念・既得権益をぶっ壊してくれるようなことだと思います。
けっして、ケータイやパソコンだけを作ってて欲しいとは思いません。それ以外にやってほしいと思うことが腐るほどあります。
具体的に言えば、「車」を作ってほしい。いや車に限らず「個人の空間としての乗り物」を作って欲しい。宇宙にも進出して欲しいと願います。
そしてきっと、次の時代のクレイジーな人々は、一つの会社に縛られることなくソレを実際に全てやってのける人々だと思います。
「いや、でもジョブズも言ってただろ?自分が立ち上げた会社はわが子のように扱えと。すぐに自分の会社を売る人間なんてクソだ!」と。
「ジョブズが長い間、ひとつの事業に選択と集中をしてきたから、今のAppleが出来上がったんだ」と。
それはごもっともな指摘です。
でもそれは今までの時代はそうするしかなかった。ソレ以外に方法がなかったからではないかと思います。
なぜなら、個人の声があまりにも小さすぎた。ジョブズがどれだけ破天荒な人間でも、彼の声が届く場所・届く相手はものすごく狭い範囲に限られていました。
しかし、今は違います。個人が繋がる時代になりました。自身のメディアを各個人が持てるようになってきたんです。
ここで少し話は代わりますが、スタジオジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんが以前自身のラジオ番組『ジブリ汗まみれ』で非常に興味深いことを言っていました。
「時にニセモノは本物を超えるときがやってくる」と。特に芸術・芸能の分野でそれは顕著だと。本人よりも本人みたいな人々が往々にして現れることがあると…。
今まではひとりの価値観を大人数に伝えるためには、かなりの労力を要しました。本人を超えるほど本人を知る為には、それこそ師弟関係となり面と向かって毎日顔を合わせなければ無理でした。しかし、それはもう過去の話となりつつあります。
なぜなら、現代の個人の声は過去のそれと比べて格段とデカくなったからです。その人の言動を、利権でガチガチに固められたマスメディアを通さないと聴くことができないというような時代ではなくなりました。
追いたい人は、それこそ永遠にその人を追い続けたっていい。それをしているうちに、本人を超えるような人がきっと現れてくるはずです。
後はそのエッセンスを聞き続けてきた人々のところに、本人が短期間だけでも訪れればいい。その熱狂的なファンに自分の「価値観」を引き継がせればいい。それが可能となったのが現代社会ではないでしょうか。
例えば、今ジョブズが去った後のAppleはいろいろな言われ方をしており、特に今回のiPad miniにいたっては、本当に喧々諤々です。
でも極端な話、僕はあれが本人を超えた作品の一つの例だと思います。
まだ北京では購入することが出来ないので、実際に入手できたわけではないですが、様々なレビュー記事を見て、本当に素晴らしいタブレットだと思いました。
ジョブズは「7インチのタブレットなんて絶対に出さない!」と生前言っていたらしいですが、それはどうかわかりません。
散々貶して、最後には手のひらを返すのが彼のやり方なので、彼が生きていれば今頃にはしれっとした顔で同じような製品を出していたかも知れません。
ただ、間違いなくRetinaディスプレイにはこだわっていたと思います。薄さも同じぐらいこだわっていたはずです。そうなれば、バッテリーと価格が犠牲になっていたでしょう。でも果たしてそれで今この時期に売られていたのか、甚だ疑問です。
7インチが主流のところを、7.9インチにしてiPadのアプリをそのまま使えるようにしたこと、ベゼルを細くして片手で持てるようにしたこと、更にそのベゼルを超えて支えているだけの指には反応しないようにしたこと。各社7インチタブレットに本腰を入れ始めたこのタイミングに合わせて販売したこと。
これらは全て、大変素晴らしい発想と決断だったと思います。
ジョブズの意志を継いだ者たちが作り上げた新たなイノベーションの答えが、あのタブレットに込められているんだと強く感じます。
それは確かにジョブズの思想とは違うでしょう、しかしそれもひとつの正しい答えであり、イノベーションを引き継ぐ者達の一つの答えなんだと思います。
Appleはもう確かに成長期は抜けたかも知れませんが、僕はこの製品を見てAppleが理想的な形で成熟期に入っていったと感じました。
もうAppleは終わったという人も多いですが、僕はこの製品を見てまだまだAppleに期待できると感じています。今までとはまた違った形で…。
これまでは、その張本人が死んで「過去の人」にならなければ、このような現象は起こりえませんでした。しかし今はその人が生存中、いや、もっと若いうちからこのような話が起きてくるんだと思います。
極端な話、やり方次第では自分のクローンだって作り出すことができるはずです。更には本人を媒介とした集合知のようなものすら作り出すことができるかも知れません。それはアニメ攻殻機動隊の「笑い男」や「個別の11人」のような形にも似ているのかも知れません。
この前の日経スペシャル ガイアの夜明け : テレビ東京を見てもその流れの始まりを感じることができました。
この番組で紹介されていた二人の起業家は、完全にスティーブ・ジョブズをずっと崇拝してきた様子でした。特に下記の記事で紹介されているバルミューダの社長は、製品からプレゼンの時の衣装まで全てがそっくりで驚くほどです。
『GreenFan』『JetClean』を生んだ家電ベンチャーの雄、バルミューダに秘められたロックな起業マインド【連載:匠たちの視点-寺尾玄】 – エンジニアtype
彼らのようなところに本人が一度行けばイイ。あとは彼らがの本人の発言をFacebookなりTwitterなりUSTなりで永遠とフォローし続ければイイ。それでその分野のイノベーションは間違いなく加速するはずです。
これからの時代のクレイジーな人々には、短期間でそれだけの空気を変える能力と魅力がある人たちなんだと思います。
そういう意味では、今回日本で稲盛和夫さんがやり遂げたことも、そういった類いの一例と言えるかも知れません。
JALが稲森和夫さんが入る前と後ではこれだけの変化が起き、これほどの短期間で再上場することが可能となりました。まさにこういったことだと思います。
そして本人はもうJALを抜けると宣言しています。
こういったことがこれからドンドン生まれてくるはずです。
空想でしかありませんが、もしかしたら孫さんが死ぬ間際に別の通信事業社に入り経営改革を行うかもしれません。それは、自身のSoftBankを本当に300年続く骨太な企業に成長させるために・通信事業者の更なるイノベーションのために・そして本人が大好きだと語る日本のために。
それは海を超えて中国など海外の通信事業者に入ってしまうことなのかもしれません。そういったことすら起こりうる気がしています。
また少し過去に遡りますが、ホリエモンは当時、自身のIT事業に関する以外にも、近鉄の買収やフジテレビの買収、選挙への出馬など、金に溺れた強欲起業家として祭り上げられてしました。
しかし、僕はそのタイミングが少し速すぎただけだと思っています。
確かに拝金主義的なやり方で世間を煽った部分・思想的な部分には多少問題があったかもしれませんが、ホリエモンがやろうとしたこと・実現しようとしたことの大筋は間違っておらず、実際にこれからの世の中で起こっていくことだと思います。
これからの時代のクレイジーな人々は、その能力と魅力を携えて、各業界の起爆剤となり、新たな種を蒔くだけ蒔いて去っていくような人々になっていくのかもしれません。
でも、これこそがまさに「0を1にする」人々の役割であり、その後のことは単純に「1を100にする」のが得意な人々にその場所を譲ればいい。彼らが蒔いた種への水やりは「育てること」が得意な人が行えばいい。
僕はそう思います。
冒頭の答えになっているかはわかりませんが、長くなってきたので今日はこのへんで。
ではではー。