どうも鳥井です。
最近、大企業や行政の極端な分業制への反発から、「すべてをひとりでやる」タイプの働き方が増えてきましたね。
言葉を選ばずに言ってしまえば、過剰な分業制の揺り戻しで生まれた、過剰な個人プレーです。
でも僕はまた、適度な分業制(チームワーク)に戻っていくと思います。
今日はそんなお話です。
極端な個人プレーには無理がある。
確かに、極端な分業制はバカげています。それは異論の余地がありません。
しかし、極端な個人プレーにも同様に無理がある。
本当はプロデューサーやマネージャー、ディレクターとしての役割が得意な人が、全てをひとりで行いたいという理由で、現場の最前線にいたりする。
自分が得意ではない仕事もやるものだから、そのうち段々とイライラが募ってきて、仕事全体のパフォーマンスも下がってきたりする…。
最近、そんな負のスパイラルに陥っている人を至るところで見掛けるようになりました。
使う場所や使い方を間違えれば、長所は短所にもなり得る。
当たり前の話ですが、使う場所や使い方を間違えれば、長所は短所にもなり得ます。
例えばの話ですが、僕が自社でリアルイベントを行う際に「お子さん連れの方々も、大歓迎!」と言いたいがために、イベント中に自分で子守をするようにしたとしましょう。
そうしたらきっと、僕はどれだけうまく説明しても全く理解してくれない子供に対して終始イライラし始めるだろうし、子供も僕なんかに講釈たれられながらあやされても、ちっとも楽しくないと思います。
だったら、うちの会社の女性陣や、保育経験のある方に当日の子守をお願いして、僕はそのための環境づくりに専念した方がいい。
具体的には、お子さんたちにも親御さんたちにもストレスのない空間を見つけてきて、そのためのお金も工面すること。
それが、僕が専念するべき仕事であり、役目です。
そして、彼女たちが楽しそうに子守している姿を、僕は遠くから眺めていたほうが良いんです。
「子連れの方にも自社のイベントを楽しんでもらいたいから!」という理由で、僕自身が最前線にたって子守するという選択が、一番バカげた選択なわけですね。
つくりたい世界観が明確な人ほど、陥りやすい罠。
今まで色々な方の傾向を見てきて思うのは、つくりたい空間や世界観が自分の中に明確に存在する人ほど、こういった罠に陥りやすいということです。
必要なものを全て自分で準備しなきゃいけないんだという強迫観念は、柔軟な思考や発想を妨げてしまう。
何度も繰り返しますが、自分が得意なところを自分で受け持ち、苦手な部分はそれが得意な人に任せてしまうこと。
もともと日本人は農耕民族なのですから、やっぱり一番得意なことはチームプレイだと思いますよ。
最後に
極端なやり方を選べば選ぶほど、極端な結果が生まれてくる。
だから、メディアでも取り上げやすくて、わかりやすく世の中から注目されていきます。
でもその分、見えないところに歪みも生まれてくる。それは当の本人が一番よくわかっているはずです。
大事なことは、どちらか一方にこだわり過ぎるのではなく、自分にとって一番心地良い点はどこなのか、心の平穏を保てる点がどこなのかを見つけることだと思います。
それが結果として、新しい働き方の創造にも繋がってくるのでしょう。
ソロで生きられる力を身に着けつつ、チームで働くというような。
そのあたりのお話は以下の記事で書いたので、ご興味のある方は合わせて読んでみてください。
チームでより高い山に登るために。「ソロで生きられる力」を身につける重要性。 | 隠居系男子
これからの時代は“雑誌的な働き方”が主流になる。 | 隠居系男子
それでは今日はこのへんで。
ではではー。