僕は愛に飢えていた。

今日は昨日のブログの続きです。

その人がその人らしく成長発展していける場をつくりたい。 | 隠居系男子

僕は、その人がその人らしく成長発展していける場をつくりたいと思っています。

「じゃあ、一体どうしてそんな風に考えるようになったのか?」

今日はそんなお話を少しだけ書いてみようかなと。

編集者・安藤巖乙さんの言葉。

先日、僕がとても尊敬している編集者の安藤さんが以下のようなツイートをしてくれました。

「なるほど、うちの会社はそんな風に見てもらえていたのか。」と新鮮な気持ちになると共に、少し意外な気持ちにもなりました。

なぜなら、僕はずっと愛を避けてきた人間だからです。

何不自由なく与えられて育ってきて、それでも飢えていたもの。

しかし、よくよく考えてみると、起業家とはコンプレックスを原動力に生きる生き物です。

僕らの上の世代であれば、欲しいものが満足に買えなかったコンプレックスをバネにして「いかにして多くを稼ぐことができるのか」そして「いかにして他者から認めてもらえるのか」という渇望感を胸に抱きながら邁進してきたのでしょう。

一方で僕は、そういった地位や名誉、お金などには大して興味がありません。

幼少期の頃から、衣食住はもちろんのこと、学校も国立の小中一貫校や、私立の一貫校に入れてもらえて、知的好奇心も十二分に満たすことができました。

本当に何不自由なく、なんでも与えられて育ってきた中で、それでも唯一飢えていたもの、それが愛だったのかもしれないなと。

他者との関係性の中にある愛。好きなことに夢中になれる偏愛。

だから僕は、そのコンプレックスを払拭するために起業したのだと思います。

ここでいう愛とは、家族や友人など他者とのコミュニケーションの中に存在する愛はもちろんのこと、好きなことに貪欲になれること、自分が本当にやりたいことだけに夢中になれる“偏愛”も含まれます。

周りが求めるものを見極めつつ、したたかにずる賢く生きる。そうやって常にバランスよく生きることが善だと思い、愛に対しては見て見ぬ振りをしながら生きてきました。

でも、もうそんな生活にはうんざりなんだ!と、心のどこかで思っていたのでしょう。

いま僕は、ここに貪欲な渇望感を抱いているんだと思います。

最後に

今日書いた内容が誤解を受けてしまいそうな内容であることは、重々承知しています。

だから世代論にするつもりもありません。あくまで僕はそうだ、という話です。

いつもこのブログを読んでくださっている方々の何かしらの参考になれば幸いです。

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