ボトムアップ型のDIYでつくりだす。なぜブリコラージュ的な発想が、いま重要になってきているのか?

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近「ブリコラージュ」という言葉を知りました。

Wikipediaによると、ブリコラージュとは「寄せ集めて自分で作る、ものを自分で修繕すること」という意味だそうです。

この考え方に触れたとき、今とても重要な概念であるような気がしました。でもその理由を自分の中で上手く言語化できなかったんです…。

そんな中、昨日「ジモコロ」編集長の徳谷柿次郎さんと、某ウェブメディアの対談企画でお話させてもらったのですが、対談の中でその片鱗を掴めたような気がするので、今日はそんなお話です。

トップダウン型の「エンジニアリング」。

ブリコラージュは「寄せ集めて自分で作る、ものを自分で修繕すること」という意味で、その対局にある概念は、理論や設計図に基づいて物を作る「エンジニアリング」。

つまり、何か目標を定めて、それに必要なものを集めてきてつくることです。それもトップダウン的に。

これは、ものすごくグローバル都市的な考え方です。グローバル都市は「経済成長」のようなわかりやすい目標を掲げ、全国各地からその必要なヒト・モノ・コトを集めてきて、設計図通りにつくります。

そうすると、何が起きるのか?

どこのグローバル都市もみんな一緒になるんです。設計図となるマニュアルも世界中の最先端の研究に基づいてつくられますから、それこそ本当に同じものが完成していく。

このブログを読んでいる人たちにもっとわかりやすく言うと、ウェブメディアやブログで、PV至上主義やアフィリエイト収益至上主義みたいな話です。

それを目標に掲げたサイトは、どれもみんな同じようなサイト構造になって、コンテンツも似たり寄ったりになってしまいますよね?それは、出口が明確でその答えに向かってみんなが同じように収束していくからです。

ウェブメディアの例でもわかりにくければ、例えばカレーを作るとしましょう。

カレーを作るときに、家の冷蔵庫の中にある材料で作るわけではなく、クックパッドで一番人気のレシピを見ながら、大きなスーパーに必要な材料を買いに行くようなもの。そして、その材料でカレーを作る。

そうすれば、誰が作ったとしても、同じようなカレーが完成しますよね?つまりはそういうことです。

ボトムアップ型の「ブリコラージュ」。

でも、ブリコラージュ的につくりだした場合は、そうではありません。

ブリコラージュとは、その場で手に入るものを寄せ集めてきて、試行錯誤しながら、最終的に新しい物をつくるという概念。

それは冷蔵庫の中にあるものだけで、カレーを作ろうとするような行為です。

もしかしたら、冷蔵庫の中に必要な材料が全て揃っていないかもしれません。何かで代用しなくちゃいけないかもしれない。

もしかしたら、カレーには合わないかもしれないけれど、賞味期限が近くて、使わざるを得ない食材もあるかもしれない。

いや、もっと言ってしまうと「最初はカレーを作ろうと思っていたけど、冷蔵庫の中をみる限り、今晩自分たちが作るべきはカレーじゃなくね?」という結論に帰結するかもしれないわけです。

ここまで読んできてくれた方の中には、もう気づいた方もいるかもしれません。

つまり、ボトムアップ型でつくっていけば、今そこにあるヒト・モノ・コトを用いてつくり始めるしかないので、出来上がるものは唯一無二なんです。

参照:エモい記事の作り方。メディアのコミュニティ化に思うこと。 | 隠居系男子

「気候風土と衣食住」が、ブリコラージュと相性良い理由。

そして、ここまでくると、このブリコラージュという発想がローカルと相性が良いというのも、とてもよく理解できると思います。

僕らは、社内でよく「気候風土と衣食住」という話をします。

「衣食住」というのは、その地域ごとの特徴がダイレクトにあらわれるもの。その理由は、それぞれの地域ごとに気候風土が異なるからです。

海岸沿いの港町だったり、山の中の盆地にある村だったり。その土地に存在するものを最大限生かして、生かさざるを得なくて、育まれていった文化だからです。

それらは、まさにブリコラージュ的な発想によって生み出されたもの。グローバル都市みたいに、全国各地、いや世界中から選りすぐりのものを集めてきて作ったわけではありません。

そして、日本が世界の中でもずば抜けて、この衣食住の文化が豊かである理由は、これだけ小さな島国でも四季折々の表情豊かな気候風土が存在するからなのでしょう。

参照:「ガウディ×井上雄彦 -シンクロする創造の源泉」でガウディに全く心惹かれなかった理由と、心底行ってよかったと思う理由。 | 隠居系男子

ボトムアップ型のDIYでつくったものには愛着が湧いてくる。

更に、ブリコラージュでつくったものは、そこに暮らす人々が自分たちでDIY的につくりだしたものですから、愛着も生まれてきます。

グローバル都市のような画一的なものではなく、トップダウン的に上から押し付けられたものでもないため、多種多様な文化を生み出し、それを自分たちで愛せるようになるんです。

今の時代、通信インフラや輸送コストがドンドン下がり、ボーダレス化が進み、画一的なグローバル都市の流れが急速に加速してきました。

その流れに対して疑問を持った人々が、地域に移り住んでブリコラージュ的な発想のもと、新しい文化を生み出そうとしているのは、すごく納得感のある話ですよね。

参照:若者の道にしたい欲求、それは後世に残すための手段としてなのかもしれない。 | 隠居系男子

特に日本人はボトムアップ型が大好きです。それは数年前に以下の記事でも書いた通り。

参照:『日本的想像力と「新しい人間性」のゆくえ』が新しくて面白い! | 隠居系男子

最後に

さて、こうやって考えてくると、いち早く地域活性化を成功させ、地方創生のモデル地域にもなっている島根県海士町の「ないものはない。」というキャッチコピーは大変素晴らしいなぁと。

まさにこのことを予言していたかのようなキャッチコピーだと思います。この辺りを詳しく語り始めると更に長くなってしまうので、続きは「灯台もと暮らし」の海士町特集を御覧ください。

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参照:この島は未来の縮図たり得るか【島根県海士町】特集、始めます。 | 灯台もと暮らし

それでは今日はこの辺で。

ではではー!

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