ウェブ記事で誰が書き手なのかが重要になってきた今、思うこと。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近、「ウェブ記事では誰が書き手なのかがとても重要になってきた」とよく言われます。

「『◯◯さんの記事、いつも楽しみにしています!』って読者の方に言われることが増えてきたんですよねー!」っていう話を、ホントに至るところで耳にするようになりました。

ただ、これも大企業の肩書と一緒で、それが「△△(媒体名・会社名)の◯◯さん」なのか、「(ただの)◯◯さん」なのかで全く意味合いが異なってきて、そこには雲泥の差があります。

ここで、「(ただの)◯◯さん」と言われるような書き手になれ!っていうのは簡単なんですが、話はそんなに単純なことではないと思っています。

今日はそんな話について、少し書いてみようかなと。

「(ただの)◯◯さん」とは?

まずは、一度整理してみますね。

最初は「(ただの)◯◯さん」から。

これはもう、皆さんがご想像のとおりです。最たる例はブログですね。一人で書いているブログにしっかりと読者がついていて、更新されるたびに多くの方に読まれるというような書き手です。

社会人で例えるのであれば、大企業の肩書がなくても、フリーランスで十分食べていけるよ!っていう人です。

「△△(媒体名・会社名)の◯◯さん」には2パターンある。

次に、「△△(媒体名・会社名)の◯◯さん」の場合。

これは2パターンあると思っていて、ひとつは媒体に忠実なパターン。

媒体の型にあわせて忠実に書いている間は、広く多くの人に読まれるけれど、その媒体から離れて、媒体の影響力の恩恵を受けられなくなると、一気に読まれなくなってしまうパターン。

社会人で例えると、大企業の肩書が入った名刺をもっている間は、まわりからチヤホヤされるけど、その会社をやめた途端、誰からも相手にされなくなるという話に近いですね。

「媒体の中でこそ生まれてくる自分の型がある」場合。

さらに、この「△△(媒体名・会社名)の◯◯さん」には、もうひとつパターンがあって、それが「媒体の中でこそ生まれてくる自分の型がある」場合です。

今徐々に注目されているのは、きっとこのパターンの書き手なのではないでしょうか。

「媒体(チーム)の枠の中で、何にも縛られることもなく自由に書いている人」と言えばわかりやすいかもしれません。

例えば、手前みそで恐縮なんですが「灯台もと暮らし」編集者・立花の記事は最近その傾向が強いです。例えば以下の記事。

参照:これからの“町の本屋さん”が生き残るために持つべきものとは?|荻窪「Title」店長・辻山良雄さん | 灯台もと暮らし

媒体(チーム)の中でこそ生まれてくる個性というような。一人で書いていたら絶対にその高みには辿りつけないけれど、その媒体にいるからこそ、その個性が最大限発揮されるというような。

「スラムダンク」の流川楓が、本当の意味で「湘北の流川楓」になった瞬間。

このままだと少しわかりにくいかもしれませんね。

みんな大好き「スラムダンク」で例えてみましょう。流川楓が山王戦で初めてパスした時みたいな話に近いです。

海南大付属の清田信長が「あの天上天下唯我独尊男がパスを…!!」というセリフが印象深いシーンです。

あの瞬間、「(ただの)流川楓」から、“本当の意味”で「湘北の流川楓」になった。

まさに今のウェブで求められている書き手というのも、この意味での「△△の◯◯さん」の方だと思うのです。

最後に

なんとなく、今日の記事で僕が言いたかったことを理解してもらえたでしょうか。

まだ自分の中でもうまく咀嚼できていないので、なかなか言語化するのが難しくて歯がゆいです…。

ただ間違いなくそこには、一人では絶対に経験することができない「成長」と「高み」がある。

灯台もと暮らし」編集部の女性陣が好きなアフリカのことわざ「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」の真意も、まさにここにあるような気がしています。

そして、ウェブ上の読み手も、そこにあらわれる違いについて、無意識のうちに気づきつつあるのだと思います。

だからこそ、これから意識するべきは、本人ですら気がついていない各人の潜在能力を最大限発揮することができる媒体(チーム)づくりだと思うのです。

少なくとも、僕のいまの興味関心はそこにあります。

自分の中で上手く言語化できるようなタイミングになったら、また改めてこの話について書いてみようかと思います。

それでは今日はこの辺で。

ではではー!

スポンサードリンク