どうも鳥井です。
先日、以下の記事を読みまして。
UberEATSの配達員をやってみたら、長文になった : akiyan.com
この記事内で、配達員さんの評価制度の話が書かれていて、そこで一つ思ったことがあります。
今のウェブライター業界に必要なのは、“取材対象者側からの評価制度”なのではないのかなと。
今日はそんなことについて少しだけ書いてみようと思います。
取材対象者側からの評価制度は存在しない。
既に、“読者側からの評価制度”は複数存在します。PV数やシェア数、ライター個人のフォロワー数など、その評価軸は多種多様です。
一方で、取材対象者側からの評価制度ってまずありません。
その結果、PVが取れればどんな取材をしたっていい、読者や編集部側の顔色ばかりを伺って、取材対象者をないがしろにしても構わない、というライターさんが多かれ少なかれ存在するのも事実です。
しかし、取材対象者さん側の魅力を伝えたいと思って始めている取材なのに、その取材対象者さんには全く評価されず、むしろ迷惑を掛けてしまっていたら、それは本末転倒ではないでしょうか。
取材対象者に喜ばれる丁寧な取材ができるライターが求められている。
もちろん、ジャーナリズム(報道)の観点から、取材対象者側にはあえて寄り添わず、真実のみを追求するという記者さんも必要でしょう。
しかし、ジャーナリズム以外の分野におけるメディアにおいては、しっかりと取材対象者に寄り添うライターさんも求められていると思います。
しっかりと寄り添った結果、煽り要素が薄れてしまい、目に見える結果(PV数など)が返ってこなかったとしても、地道に丁寧な取材を重ねることの意義も絶対にある。
例えば、ライターさん本人の信頼性が増していき、媒体やコンテンツの内容に限らず、ライターさん個人の固定読者さんが増えたり、「この人であれば取材して欲しい!」と逆指名してくる取材対象者さんも増えたりしていくはずです。
というか、僕自身が純粋にそんなライターさんの記事を読みたいと思いますし、そんなライターさんに取材やインタビューをして欲しいと思います。
最後に
バイラルメディアが発達して、書き手がどんな人間なのかわからない、そもそも取材さえしていないというメディアが増えている昨今。
その危機感から、ここ1〜2年で「これからは量よりも質」「一次コンテンツをつくる重要性」などが声高に叫ばれるようにもなりました。
参照:ブロフェス2016に参加して思ったこと。 | 隠居系男子
質の高い一次コンテンツを作る上で、他者への取材は必要不可欠です。
その取材先で愛されるライターさんというのは、メディア運営者側からすれば大変ありがたい存在となります。
バーティカルメディア(特化型メディア)になればなるほど、業界は狭くなり、その業界内での評価や評判というのは非常に重要になってきますからね。
そんな時に、ライターさんを選ぶ判断基準として、取材対象者側からの評価制度があっても良いのではないのかと思い、今日は自分の思うところを少し書いてみました。
少なくとも、そんな丁寧な取材ができるライターさんがもっともっと評価される世の中になって欲しいなと思います。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!