毎週月曜日19時30分から、ライブ配信をしている「#もとくらの深夜枠」。
昨日のテーマは、「これからの働くを考える」でした。
参照:Wasei Salonメンバーでこれからの「働く」を考えるライブ配信を行います。 #もとくらの深夜枠 | 隠居系男子
その中で特に印象に残ったお話が、「仕事よりも大切なものは何ですか?」という質問に対する3人の答え。
それぞれの答えは共通していて、まず大切な人と過ごすための時間であり、「人間関係」の部分。
そしてもうひとつが、自分自身が心地よく生きるための「健康」。
なぜなら、「働くまえに、ひとりの人間であるから」だと。
心身ともにヘルシーな状態であること。
そういえば、先日こんなツイートをしてみたんです。
これは、とても素晴らしいご指摘だなと思っていて「経験できるなら、経験しておいたほうがいい」や「もらえるなら、もらっておいたほうがいい」という従来の“お得の理論”は、きっともう今の若い世代にとってはクールじゃなくなってきているんだろうなと思います。 https://t.co/9ivAIm8hgI
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年3月15日
それよりも、たとえ損をすることが明白であったとしても、常に心身ともにヘルシーであることのほうが圧倒的に重要で、規模感や社会的評価は関係なく、まわりの意見に流されず自分らしくヘルシーであり続けているひとが、彼らにとっての憧れの対象となっているような気がしています。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年3月15日
まさに、この「心身ともにヘルシーである」と、同じような感覚なのかなと思いました。
友人や家族とのコミュニケーションにおける「心」の部分と、自分の健康を管理したい「身体」の部分。
無理やり僕の土俵に引っ張ってくると、「働く」ことと同じぐらい「暮らし」を大切にしたいということなんだと思いました。
「丁寧な暮らし」と揶揄される理由。
でもそうすると、「どうせ、丁寧な暮らしってことだろう…?」と勘ぐる方もいるかもしれません。
確かに「丁寧な暮らし」の話なのですが、丁寧な暮らしが揶揄されてしまう理由は、誰かの「丁寧な暮らし」を正解だと思い込み、それを鵜呑みにして模倣するひとたちが増え始めたからなのだと思います。
でも「暮らし」とは本来、もっと主観的な、自分の中にある「こう在りたい」を大切にする行為なんだと思います。
「丁寧な暮らし」に客観的な正解はない。
たとえば、お酒を飲むという行為。
身体の健康面を考えると、お酒はあまり飲まない方がいいかもしれません。
でも一方で、他者とのコミュニケーションを取るための手段としては優れている面もある。
つまり「お酒を飲むべきか否か」に正解はないんです。すべては自分の中の納得感次第。
しかもそれは、自分の長い人生の中で何度も変化してもいいと思います。
同様に、「丁寧な暮らし」にも本来の正解はない。
もし正解があるとしたら、自分はこう在りたいと思うその姿に、自分自身が誠実であることが「丁寧な暮らし」の正解なのかなと僕は思います。
だからこそ、常に自分の中に存在する小さな違和感に向き合い続けながら、それを微調整し続けることが大切なんだろうなあと。
最後に
他にも、昨夜は素敵なお話をたくさん聞くことができたので、気になる方はぜひアーカイブを観ていただけると嬉しいです。
来週の「#もとくらの深夜枠」も、WaseiSalonメンバーで「これからの働くを考える」というテーマでライブ配信したいと思います。どうぞお楽しみに!