エモい記事の作り方。メディアのコミュニティ化に思うこと。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近よく社内で「エモい記事」の話をします。

エモいとは、エモーショナルであるということ。つまり、記事を読んだ瞬間になぜだかわからないけれど感情がとてつもなく突き動かされてしまう記事のことです。

今日は、そんな記事の作り方と、最後に少しだけ「メディアのコミュニティ化」についてのお話を書いてみたいと思います。

なぜ「灯台もと暮らし」では外部のライターさんやカメラマンさんを使わないのか?

「なぜ灯台もと暮らしでは外部のライターさんやカメラマンさん使わないんですか?」と頻繁に聞かれるのですが、それはひとえに自分たちにとっての「エモい記事」を作りたいからです。

読者の皆さんに、自分たちが本当にエモーショナルだと思うポイントを伝えたい。そのためには、全部自分たちでつくらないとダメなんです。

松浦弥太郎さんの教え。

実はこれ、「くらしのきほん」の松浦弥太郎さんに教えてもらったことです。

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画像引用元:朝のおはなし。朝だけ限定です。 おはようさん – くらしのきほん

上記のリンク先を見てもらえればわかるように、「くらしのきほん」で公開されている松浦さんのコンテンツは「文・写真・動画 松浦弥太郎」となっており、全て松浦さんお一人でつくられています。

「なぜ写真も動画も全ておひとりで作っているんですか?」と質問させてもらったところ、松浦さんから以下のような答えが返ってきました。

「プロのカメラマンに頼むと、自分が良いと思うところを撮ってくれない。ムダに水しぶきが上がっているところとか、動画映えしそうなところばかりにフォーカスしようとする。でも自分がいいと思っているところはそこではない」と。

このお話を聞いたとき、僕の中で衝撃が走りました…。

自分たちが社内で全て内製しているのは、予算も人脈もない中で、それでも何かいいものがつくれるはずだと信じて、その結果の苦肉の策だと思っていたからです。

でも一方で、心のどこかで思っていました。僕らが作りたいものを具現化するためには、本当はこれが一番良い方法なのかもしれないと。

それを少しでも言語化したいなと思い、以下の様な記事を書いたこともあります。

参照:お金も人脈もないからこそ、良いコンテンツを作ることができる。 | 隠居系男子

でもこの記事以上に、松浦さんがその理由を見事に言い表してくれたのです。

徹頭徹尾ひとりで作るからこそ生まれてくるエモさ。

つまり自分が本当にいいと思っているところ、そのエモさやシズル感を最大限表現するためには1〜10までを全て自分(たち)で手掛けるのが一番いいんです。

「自分は、この文章にこの写真と動画を組み合わせて、この完成形が最高にエモいと感じるんだ!」と主張するように。

大手広告代理店や出版社の方々が多額の予算をつぎ込んで作ったコンテンツよりも、ブロガーさんやウェブで活躍されているライターさんたちのコンテンツの方が共感を呼ぶ理由。それもまさにここにあって、彼らも徹頭徹尾ひとりで作っているからなんです。

もちろんプロ中のプロ同士が集まって作るコンテンツでも素晴らしいものはありますよ。でもそれは、いつもこのブログで書いているように「グローバル・ハイクオリティ」のお話です。

参照:これからの時代に売れるモノは、ツールかグッズだけ。 | 隠居系男子

最後に

最近至るところで、「これからのメディアはコミュニティ化が進む」と言われていますが、その意味というのはまさに今日の記事に書いた文脈から考えてみるべきなのではないでしょうか。

つまり、全て自分(たち)でつくりあげ、自分(たち)にとってエモいと思えるものを出し続ける。そうすることで、ネットが普及した昨今、そのエモさに共感してくれる人たちが自然と集まってきてくれる。

同じようなところにエモさを感じる人同士が集まることによって色々な繋がりが生まれ、予想だにしなかったアイディアも生まれてくる。

その中で、自分たちが考えるエモさとは何なのかをさらに考え深めて、研究し、作り手と読者が一緒になって具現化していく。

このプロセスこそが、これからの時代のメディアの在り方だと思うのです。そして、メディアがコミュニティ化すると言われる所以もここにあるのだろうなと。

個人的にはそんな風に考える今日このごろです。

最後まで読んでくださった方の何かしらの参考になれば幸いです。

それでは今日はこの辺で。

ではではー!

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