中国以外にも国家がネットを規制する国はいつか必ず現れる。それも平和的に。

セブ島に来て8週間経ちました。どうも鳥井です。

今日はいつもとは趣向を変え、約1年前に自分が書いた文章をこのブログで紹介してみたいと思います。中国に住み始めて約6ヶ月が経過した頃に僕が考えていたことです。

今自分で読み返してみると、多少違和感を感じるところもあるのですが、ぜひこのブログの読者の方たちにもこの文章を読んでみて欲しいと思ったので、ここで掲載させてもらいます。

では、どーぞ。(多少加筆修正しています。)

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ネットが守るべき言論の自由とはなにか? – はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

今日はこの川上さんのブログをもとに記事を書く。あ、でもこれがきっかけで今日の記事のアイディアが浮かんだだけで、内容とは直接関係ないかも。

自分は今、中国にいる。この国では皆さんが御存知の通り、インターネット上で規制されているサイトがいくつもある。Facebook、Twitter、YouTube、USTREAM、ニコ動など日本にいたときは必須だったサイトがこちらの国では全く使えない。

しかし、結論から言うと、自分も川上さんと同様にこれからは国家がネット言論を、そしてネットそのものを規制していくようになると思うし、そうゆう国家が増えていくはずだと思う。ただ川上さんと結論が同じでも理由が多少違うので、それを以下で述べていきたい。

昨年の9月に中国に来た頃は、上記で挙げたサイトが使えないということが本当に苦痛だった。日本でVPNの設定をしてくれば見れないこともないが、まずは「郷に入っては郷に従え」というようにその国の本来のあるがままの姿のインターネットに触れてみたいと考え、何の設定もせずに中国に来た。

始めは苦痛だったが1ヶ月や2ヶ月を過ぎたあたりから変化が起き始め、規制されているサイトを使えないことが特に苦じゃなくなってくる。

むしろSNSが使えないことが逆に快適とさえ思えてきてしまうほどに…。

これは世に言う「SNS疲れ」ともまた違った感覚で、自分は日本にいた時にSNSのために裂く時間があまりに多すぎて、その費用対効果があまり良くないと感じていた。

日本にいた時はChromeのプラグインなどを使って特定のサイトを見られないように設定するなど、自己規制を試みたこともあったがやはり気になってしまい、結局は規制を解除してサイトを開いてしまうというような事を何度も繰り返してきた。

インフラとなってしまったこれらのサイトを使わないようにするためには、もはや自分の意志だけではどうにもならないことなのかもしれないと、この時自分は思った。

たとえそれが恋人や家族の命令であったとしても、同様に規制しづらいということは容易に想像できる。

つまり、これを使わないようにするためには法的に規制されるか、地理的問題で、そもそもインターネットに繋がらないなどという事がない限り、もう制限不可能な状態まで来てしまっているのだ。(あくまで自分にとってだが…)

そうなってくると、こうゆう事実に気づいた人たちが集まって「自分たちの立国の信念のもと、この国では〇〇のサイトは使わないようにしよう!そして、他人の言論の自由を妨害する自由は言論の自由とは異なるものなのでネット空間においては、検閲の対象となる。」というルールをつくる国や自治体が出てきてもおかしくはないと思う。

それは、RPGゲームの中盤以降にによく出てくる街や村のように「ここでは〇〇の魔法は使えないんだよ。」などと同じような感覚で…。

この例えがわからない人には、『風の谷のナウシカ』に出てくる風の谷のような場所だと捉えてもらうと、もっとわかりやすいかもしれない。トルメキア軍のように機械や兵器を使うことを拒絶し、自然と共に暮らす。その機械や兵器の部分がネットの規制に当たると考えてほしい。

Tumblrか何かで以前見たのだが、「機能を増やすには技術がいる、機能を減らすには哲学がいる」これはそのとおりだと思う。つまりこの哲学が国家の建国の意志である哲学とリンクすれば、そのような地域が現れても何らおかしくはないと思う。

スティーブ・ジョブズはiPhoneやiPadでフラッシュを使っているサイトを見られないようにしていたけれど、これもジョブズを党首としApple信者を国民と見立てれば、Apple国ではそのような事を既にやってのけられていたとも考えることができる。

今中国がこのネット規制問題で叩かれている理由は…

  1. 中国が共産党という選挙で選ばれていない政党のもと運営されている国であるということ
  2. あまりにも規制対象の規模・範囲がデカすぎること
  3. あとはこの国特有のお国柄に対する批判

であると思うけど、そうゆう先入観のようなものがない国や地域で行われたら、意外と面白がられ歓迎ムードの中、実現する日も近いのではないかと思う。

ここまで思いついた事思いついたまま書き殴ってきたので、まとまりのない文章になってしまった。

「なぜSNSが使えなくなると、逆に心地良いのか」については今回あまり触れなかったので、もしまた気が向いたら書いてみるかも知れない。

とにかく今日書きたかったことは、国家やそれに似たある一定の集団の中で、それぞれに哲学や理念を持ちながら、全く別の価値観で生活する人々と場所がそろそろ現れ始めてもいいのではないか、ということ。

世界の国々がどんどんと似たような街並み・風景・システムに収束していく中で、今回の考察は逆行する話ではあるけど、いつか実現する日が来るんじゃないかと僕は期待してやまない。

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今読み返してみると、かなり暴論だなと思う部分も多かったですが、去年の下半期から今年にかけて、さらにSNS断ちの気運が高まってきているような気がします。

しかし、その一方で、O2OやビッグデータなどSNSで集められた情報が、これからもっと僕たちの生活に入り込もうとしているのも事実です。

このような対立構造がもっと明確になってくれば、上記で挙げたような国が出てきてもおかしくないのかもしれません。

ぜひこれからもこの行く先を見守りたいと思います。

それでは今日はこのへんで!

ではではー。

鳥井弘文
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