「虚構が未来をつくる」その事実を忘れない。

最近、オーディオブック版「サピエンス全史」の付録音声を聞きまして。

オーディオブック版『サピエンス全史』11週連続首位! 記念に山極壽一氏×山海嘉之氏のトークセッションを「FeBe」で音声配信 – Audiobook Times

このトークセッションを聞いて、僕はとても唸ってしまいました。

今日はこの対談を少しだけご紹介してみようと思います。

「虚構が未来をつくった。」

ちょっと長いんですが、NewsPicksにこのイベントのレポート記事があがっていたので一部を引用してみたいと思います。

京都大学総長である山極壽一さんの発言部分です。

資本主義は虚構なのか

司会者 本書のテーマは「虚構」で、例えば国家や企業、さらに人権や自由といったものまでもがすべて虚構だと明言しています。

以前、著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が来日した際には、「それに人間が意外と気づいていないから、様々な問題が起きるのではないか」とも語っていました。

つまり、戦争が起きるのも国家に身を捧げてしまうという虚構に気づいていないためであり、働きすぎて過労死が起きたりするのも、企業が虚構であることに気づいていないからだ、と。

この点についてはどう思われますか?

山極 この著者は、認知革命が起こったことで見えないものを見せる、あるいは想像して共有することが始まり、それによって虚構が生まれたと言っているわけですが、私はそれは違うと思います。

人間的な虚構というのはもっと、見えないものに対して憧れを抱いたり、諦めない精神を意味するのではないかと思います。

今から180万年前ぐらいに起こったアウト・オブ・アフリカでは、人類の祖先が初めてアフリカを出て新天地を目指しましたが、動物は普通、そんな危ないことをしません。熟知した環境にとどまって、自分の生理、形態でできることをやっていくものです。

そこでなぜ、それを超えようと思ったのか。すべてはそこから始まっているのではないでしょうか。

山海 なるほど。確かにそうかもしれませんね。

山極 面白いのは、農業も資本主義も結局は詐欺だったけれども、その虚構が何をもたらしたかというと、「未来を信じる心」であると論じている点です。

狩猟採集生活というのは非常に安全で、そして食料が不足しない。なぜなら、食料がなくなったら、豊かな場所に移動すればいいからです。

でも、農業はいったん投資した場所にとどまらなければいけません。おまけに未来が自分の思い通りにやってくるかどうかは、誰にもわからない。

それでもその場所に投資し、期待する心というのがまさに虚構なわけです。この様式は資本主義になっても変わっていません。

ただ、資本主義と農業が違うのは、儲けたものをさらに投資しようとすることで、儲けを使わずどんどん未来に投資し続けようという衝動が人間の中に芽生えてしまったということです。

虚構が未来をつくり、我々は未来に突き動かされているんだという視点は、実にユニークですよね。

引用元:(3) 【山極寿一×山海嘉之】『サピエンス全史』が登場したのは必然だ

今この時代には「虚構」が溢れている。

「虚構が未来をつくった」というのは、とてもおもしろい話ですよね。

今、これだけ世の中が変化しようとしているタイミングで、未来がどうなるかなんてことは本当に誰にもわかりません。

しかし、未来の片鱗は世の中に溢れているわけですから、みんなが好き勝手に「未来はきっとこうなる!」と予想しているわけです。

でも、その中で実現するのは、ほんの一握りでしょう。

つまり大半は「虚構」であり、今のこの時代には「虚構」が溢れ返っているわけです。

もちろん、ご多分に漏れず、このブログだって虚構だらけ。

でもなんというか、まだ上手くは言えないんですが、たとえそれが虚構であったとしても「虚構を実現できるかもしれない」というその僅かな可能性にかけることが「未来を信じて生きる」こと、そのものなのかもしれないなと思ったんです。

虚構だったと証明されようとも、過程を一緒に面白がれる仲間がいるかどうか。

そしてその時に大切なことは、諦めずに続けることができる勇気を持つこと。

その勇気というのは、きっと他者の「信用」や「信頼」が大きく作用するんだと思うのです。

たとえ失敗に終わろうとも、本当にそれが虚構だったと証明されようとも、そのすべての過程に対して「あー、楽しかった!」と一緒におもしろがれる仲間がいるかどうか。

そのために、僕らは今、無意識のうちに「コミュニティ」みたいなものをつくろうとしているんだろうなあと。

それは、ちょうど新しい大陸を探し出すために航海に出る準備をしているような感覚に近いのだと思います。

最後に

「虚構が未来をつくる。」

この紛れもない残酷な事実をちゃんと理解した上で、たった一度の人生を過ごすことで人生は大きく変わってくるような気がしています。

そしてこれもひとつの「理想を失わない現実主義」のかたち。

今回もかなり抽象的な話になってしまいましたが、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって何かしらの参考になれば幸いです。

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