どうも鳥井です。
最近、ネットで話題のWELQの件を受けて、自分なりに思ったことを今朝はまとめておきたいと思います。
バイラルもキュレーションも、その本質に良し悪しはない。
バイラルメディアに続いてキュレーションメディアも地に落ちた。そのうちだんだん名乗るものがなくなっていくんだろうね。オウンドメディアとかネイティブアドみたいな新しい言葉も一歩間違えれば同じ道を辿りそう。
— narumi (@narumi) 2016年11月30日
ホントそうだよなあ。バイラルもキュレーションもその仕組み自体はものすごくインターネット的で、その本質に良し悪しはなくて、これまでのメディアの概念や権力関係を覆すことができる仕組みだったはず、なんだよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年11月30日
にも関わらず、お金に目がくらんだ人たちが自分たちの私利私欲のために悪用してしまったせいで、結局インターネット上でも大手出版社や新聞社に勤めていた人たちが幅を利かせてしまうっていう、かなり本末転倒な話になってきていると思うよ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年11月30日
グレーを攻めるのはいいんだけど、誰のためにグレーを攻めるのか?が大事。AirBnBやUberは無論、著作権的に微妙だった時代のYoutubeでもユーザーメリットはあった。他がビビってやらないうちにサクっと一儲けし後は逃げるっちゅうテキ屋みたいな発想では、業界の地位があがらん。
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2016年11月30日
この田端さんのツイートをみて、田端さんが書いた「MEDIA MAKERS 社会が動く「影響力」の正体」というの書籍の中に書かれてある、とても印象的な一節を思い出したので、少し引用しておきたいと思います。
広告やメディアでは人が動かない中で、何が人を動かすのか?
それは結局のところ、確実にうまくいくかわからない状況でも、論理を超えて「これでいこう!」と踏み切る現場の「勇気」や「機転」ではないか、と私は思っている。
リスクをとり、恥をかき、失敗する「覚悟」のない人間、人間のココロへの「洞察」のない人間が、どれだけ手法やテクノロジーに通じてみたところで、人を動かし、財布を開けさせ、社会を変えるムーブメントを作り出せるはずなどないのだ。
「人間のココロへの洞察」を忘れずに、淡々と丁寧に。
大事なのは「人間のココロへの洞察」とは、本当にその通りだよなあと。
下記のツイートで、タクスズキさんや「ジモコロ」の柿次郎さんも書いているように、これからも淡々と良いものを丁寧に作っていこうと改めて思いました。
バイラルメディアブームの頃からFBのいいねを広告で山ほど獲得したり、記事量産させたりして膨大なアクセスを集めるのが勝ちパターンみたいになってたけど、そうじゃなく「もとくら」とか「ジモコロ」みたいに良いものを丁寧に作るのが遠回りのようで実は勝ちパターンだったんだなと最近よく思う。
— タクスズキ@プロブロガー (@TwinTKchan) 2016年11月29日
一年後のWebメディア界隈はどうなってるんだろうな。じっくり地道に、流行りに合わせすぎず、真似されにくい記事をコツコツ作るしかない。その上で適切な挑戦を積み重ねるイメージ。
— 徳谷 柿次郎 (@kakijiro) 2016年11月29日
それでは今日はこのへんで。
ではではー。