どうも鳥井です。
ポリティカル・コレクトネス(以下:ポリコレ)を、したり顔で語る人たちに感じるモヤモヤや違和感の正体はなんなんだろう?とここ最近ずっと考えてきました。
何となく自分の中で答えが見えてきたような気がするので、ここでまとめておきたいと思います。
僕が中学時代のバスケ部の監督はめちゃくちゃ厳しい人で、その後全国3位のチームも作ったことがある人なんだけど、そんな彼の口癖が「その感性がムカつく」でした。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月27日
バスケは確率のスポーツだから、シュートが外れることも当然で、ちょっとしたミスぐらいではほとんど怒られないですが、たとえ良いプレーをしたとしても、舐めたプレーしていたら「その感性が許せない!」とこっぴどく怒られることがよくあった。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月27日
中学生時代の自分はそうやって怒られる度に「入ったからいいじゃん、勝ったからいいじゃん」って思っていたけど、いま思うと彼が全面的に正しい。感性ってすごく大事です。プロセスともまた違う。どんな感性を持ちながらプレーに臨んでいるのか、それってとても重要なこと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月27日
今朝のこの話、ポリコレを語るインテリ層に対して僕は強く思うんですよ。「正しいことを言ってるからいいじゃん」と、人を小馬鹿にした態度、足蹴にする態度、ポリコレを語るインテリ層の背景からそんな感性が透けて見えるから、いつまでたっても溝が埋まらないんだと思うんですよ。 https://t.co/eJXwagAUGH
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月27日
Session-22で憲法学者・木村草太さんが「注目を集めるための過激な発言は卑怯。」という趣旨の話をしていて、本当にその通りだなあって思ったんだけど、でも、今まではメディア側がそれをずっとやってきたんだよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月28日
一方で、著名人や政治家はずっといいようにメディアに責め立てられる側にいたわけで。そんな中、個人がメディアを持てるようになった時代に、トランプみたいな人たちが現れた。だから、悔い改めるべきは、メディアの方なのかもしれないね。長い時間掛かるかもしれないけど。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月28日
こんな風にポリコレ批判は、いつも価値の話ではなく人間性の話になる。価値としては「正しい」と認めながら、反論は態度とか人間性の話になる。これ「正しい」ことを言われただけで被害者意識を抱いてしまう実存の問題なんじゃないかな。 https://t.co/b6xLZgxx49
— いちじく (@ichijiku_boy) 2017年2月27日
こういうリプライも飛んで来るけど、だからこそポリコレを主張するメディア側の態度次第なんだと思います。正しさを主張すれば、相手を見下したり、ふざけたりしてていいわけないじゃないですか。メディア側から誠実な態度を示さないと、相手だってそりゃあ誠実な態度を示してくれるわけがないですよ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年2月28日
以上です。
トランプさんのように、わかりやすい悪役(ヒール)が現れている今のような時代だからこそ、一方的に相手を悪者にして片づけてしまわないようにしたいものです。
「もしかしたら、自分たちが彼のような存在を生んでいるのかもしれない…」と、改めて自分たちの胸に手を当てて考えてみるべきなのではないでしょうか。
あー、もしかしたら井上雄彦さんは、トランプさんみたいなヒールが現代に現れることを予期していたのかもしれないね。:井上雄彦『リアル』13巻から考える悪役(ヒール)とは何か。 https://t.co/vslrbywXdS
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年3月1日
それでは今日はこのへんで。
ではではー!