普遍的な表現は「私とあなた」の「いま」を切り取ってできている。

先日こちらの本を読みまして。

おとなの小論文教室。 (河出文庫) | 山田ズーニー| Amazon

その中でも特にハッとしたのが、ここの一節。


「いま」とは何か?

じゃあ、「いま」とは何なのか?

どうすれば、その「いま」を表現することができるのか?

僕が思うに、結局のところ「正直になれるかどうか」なのだと思います。

拍子抜けするような話ですが、本当にそう思います。

先週末放送されたNHKのソングスでも、宇多田ヒカルさんが「正直かどうか」を大切にしていると仰っていました。

参照:SONGSスペシャル 「宇多田ヒカル ~時を超える言葉~」│NHKオンデマンド

「ダサいな」と何か違和感を感じたら、絶対にそこを見過ごさないと。

つまり、「いま」を表現するためには、まさにこの瞬間に自分が感じたことを「正直に」表現することが一番なのだと思います。

何か少しでも打算的になった瞬間に、それはもう「いま」じゃなくなってしまう。

特定の誰かに向けられた正直な気持ちや感情、それを各人が得意とする(得意になりたいと願う)手法を用いて、ありのままに表現すること。それが「いま」を表現することなのだと思います。

思えば、僕がこのブログで納得のいく表現ができたなと感じたときも必ず、特定の誰かとのコミュニケーションがきっかけ。

そこで生まれた感情を種にして正直に育めたときに、心の底から納得のいく表現ができたなと実感することができました。

最後に

昨日、別の文脈でこんなツイートもしてみたんです。

きっと、万人が共感する普遍的なものほど、特定の誰かに向けられた「私とあなた」の「いま」を正直に切り取ってできている。

一見すると矛盾するようにも感じますが、これが真実なのだと思います。

こんな単純なことに気付くまで、僕は30年も掛かってしまいました。

いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考になれば幸いです。

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