先日、こんなツイートをしてみました。
次世代の新しい価値観をちゃんと知れば知るほど、これからはこの方向性であることは間違いないと、自分の中に確信めいたものが生まれてくる。でもやっぱり、ちょっとだけ寂しいんですよね。昔から馴染みがあるものがなくなってしまうのは、やっぱり誰だって寂しいんです。それが価値観だったとしても。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年7月24日
だからこそ、従来の価値観から脱却できないひとには、まっとうな批判じゃなくて、その寂しさに寄り添うことのほうが大事なんじゃないのかなと。正論で説き伏せようとすればするほど、根底に寂しさを抱えているひとは固く心を閉ざす。僕はそんなふうに思います。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年7月24日
『ハウルの動く城』が描く、広義の家族のあり方と今日性。
そして、1ヶ月ほど前に『ハウルの動く城』を久しぶりに観てみて、こんなツイートもしてみました。
先日、久しぶりに『ハウルの動く城』を観たんですが、この映画は今こそ観たほうが良い映画かもしれないなと思いました。僕もあまり観た回数が多くなくて、内容はうろ覚えだったんですが「ジブリの新作かな…!?」って思うぐらい今日性があった。「家族」が問われている今の時代からこそハウルなのかも。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月15日
特に、荒地の魔女に対してのソフィーの対応は今僕らが学ぶべき点がたくさんあると思っています。荒地の魔女に対して、前半部分では自分に呪いをかけた相手だと怒りを露わにしつつ、最終的には寄り添い、家族になっていく。ハウルの心臓を返すシーンでは、言葉で説得しようとせず、ただ抱き寄せるだけ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月15日
老害だと論破するのは簡単ですし、呪いをかけた相手を一生恨み続けることも可能ではある。でも、結局それでは誰も幸せにならない。今の若い世代は、ソフィーのスタンスってものすごく参考になる部分があると思うんです。これからの時代を生きるうえで、寄り添う力、大事です。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月15日
でも一方で、ソフィーがいつでも誰でも受け入れているかと言えば、決してそうではなく、サリマン先生に対しては明確にNOと言う。大勢だからと言って絶対に媚びない。自分の信念や納得感に従う姿勢も、素晴らしいなと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年6月15日
最後に
各人が自分の信じる正論を振りかざして、バッサリと他者を断罪していく時代。
でもだからこそ、それでも寄り添うという覚悟をもった“広義の家族のあり方”が、いま同時に問われているのかもしれないなあと思うのです。
そして、それで言うとWaseiという会社も、Wasei Salonも目指しているかたちは大きな家族(共同体)なのかもしれないなあと。
そんなことを考える今日このごろ。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって、何かしらの参考になれば幸いです。
追伸:「灯台もと暮らし」でも「これからの家族のあり方を考える」特集をつくってみたいと考えて、少しずつ動き始めています。