昨日こんなツイートをしてみました。
参加費が最初から決まっているイベントじゃなくて、「ドネーション制(寄付型)」のトークイベントを都内でやってみたらおもしろそうだなと。無料で参加できて、イベントの最後にpolcaのQRコードがスライドに映し出されて、自分の納得感のある金額を来場者の皆さんに投げ銭してもらうというような。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年7月30日
よくよく考えると、参加者全員から同じ金額を徴収する必要って全くないと思うんですよね。刺さった部分が多ければ、追加で課金したいこともよくあるし。入り口は無料(か会場費など赤字にならない最低ラインの金額で)、あとは満足感に応じて投げ銭して帰ってもらうみたいな形は結構おもしろいかなと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年7月30日
反響が多く、すでに実践したことがあるという方々も多いようです。
いちじくいち( @1jiku1 )は、去年「入場料自由」で入口にドネーションBox置いたんだよー。でもなかなかきびしくて、今年は「入場無料、退場有料(お気持ちで1円〜)」にして、出口にドネーションBox置く予定です。 https://t.co/XtecNLBNAc
— 藤本智士 (@Re_Satoshi_F) 2018年7月31日
実際、何度か「ドネーション制」のイベントを開催したことがある。
そのときは投げ銭BOXで集めたんだけど、生身の現金を目の前で出すという部分で参加者の躊躇が感じられた。polcaを利用すると、その躊躇がなくなって良いかも。 https://t.co/29iwFBHGjJ
— りょうかん@旅するインタビュアー (@ryokan_1123) 2018年7月30日
ちょうどこんな感じのスタイルでイベントやってるよ!
現金だけど、もらってその場でGojoに投下
今のところGojoに投下してくれた分は次回以降の経費として積み立ててるけど、これもなんか使いみち詳しく設定できてると面白いと思う。
使いみちに具体性があるのはGojoよりPolcaの方が向いてる感じがする https://t.co/W9bB3AASrz— Sayaka Chiba (@csyk1004) 2018年7月31日
クルミドコーヒーの影山さんが以前投げ銭の実験されてましたね。考察がかなり面白かったです。https://t.co/GKL8uq2us6 https://t.co/ANmtk3o6Ol
— 川口瞬 (@shunkawaguchi) 2018年7月30日
現金(紙幣)の手離れの悪さが原因か…?
ここからは完全に僕の仮説です。
思うに、現金でこのやり方を実践するのは、やっぱり少し無理があると思うんですよね。
それはもう、ひとえに「現金の手離れの悪さ」に尽きる…。
「何か対価を得ることなく、安易に投げ銭することはできない。」これはもう教育の賜物なのだろうなと。
先日、夏休みを取って伊勢神宮へ行ってきたのですが、やっぱりどう頑張っても福沢諭吉を賽銭箱に投げ入れることはできませんでした。
それ以上の体験価値があると自分では感じていながらも、です。
「お金(紙幣)は大事にしなさい。無駄遣いはするな。」という教育が、自分の中に完璧に刷り込まれてしまっているなあと。
でも、これが電子マネーだったら、もっと手離れが良くなります。
そして、仮想通貨のような“あぶく銭”だったら、もっともっと流動性が高まっていくだろうなあと。
参照:今、VALUやCAMPFIREのような評価経済社会の循環の中に参加しておいたほうがいいと思う理由。 | 隠居系男子
お金とは何か?
「お金とは何か?」
この何度も語られている問いに対して、僕は「社会にどれだけ必要とされているのか、その証である」という考え方を支持します。
であれば、世の中から本当に必要とされているのであれば、自然とお金は集まってくるはずなんですよね。
今は「定額を支払うか・支払わないか」の二択でしか選べないけれど、今後これはもっともっとなめらかなになっていくことは間違いない。
だったら、そんな世界へ向けて、自分たちでも試行錯誤を繰り返しながら、自分たちの一番納得感のある方法にたどり着いたほうがいいなと思うのです。
最後に
きっとこれからは、お金を払う側にも、プライシングの意思決定が求められてくるはずで。
すでに、polcaの上乗せ機能なんかがまさにそうですよね。
他者が決めた金額に対して「高い・安い」と文句を言っているうちは、「私を楽しませて!」の発想から脱却することはできない。
参照:大切にしたいひとをちゃんと大切にしたいから、余計なひとを引き寄せない。 | 隠居系男子
「あなたは、これに対していくら支払いますか?」と問われた時に、自分で自分の納得感のある金額をすぐに支払えるようになること。
しかも、それで自分だけが得をするのではなく、他者と心地よく共存できるように、適切なお金を社会に循環させていくことができるかどうか。
そんな成熟が、これからの世の中ではより多くの人々に求められるようになってくるのだと思います。
参照:「コミュニティの誰かが成功したら、みんなでシェアしようぜ!」という発想から考える、新しいコミュニティ設計の可能性。 | 隠居系男子
最後はかなり抽象的な話になってしまいましたが、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって何かしらの参考になれば幸いです。