ドネーション制(寄付型)のトークイベントを開催することはできるのか?

昨日こんなツイートをしてみました。

反響が多く、すでに実践したことがあるという方々も多いようです。


現金(紙幣)の手離れの悪さが原因か…?

ここからは完全に僕の仮説です。

思うに、現金でこのやり方を実践するのは、やっぱり少し無理があると思うんですよね。

それはもう、ひとえに「現金の手離れの悪さ」に尽きる…。

「何か対価を得ることなく、安易に投げ銭することはできない。」これはもう教育の賜物なのだろうなと。

先日、夏休みを取って伊勢神宮へ行ってきたのですが、やっぱりどう頑張っても福沢諭吉を賽銭箱に投げ入れることはできませんでした。

それ以上の体験価値があると自分では感じていながらも、です。

「お金(紙幣)は大事にしなさい。無駄遣いはするな。」という教育が、自分の中に完璧に刷り込まれてしまっているなあと。

でも、これが電子マネーだったら、もっと手離れが良くなります。

そして、仮想通貨のような“あぶく銭”だったら、もっともっと流動性が高まっていくだろうなあと。

参照:今、VALUやCAMPFIREのような評価経済社会の循環の中に参加しておいたほうがいいと思う理由。 | 隠居系男子

お金とは何か?

「お金とは何か?」

この何度も語られている問いに対して、僕は「社会にどれだけ必要とされているのか、その証である」という考え方を支持します。

であれば、世の中から本当に必要とされているのであれば、自然とお金は集まってくるはずなんですよね。

今は「定額を支払うか・支払わないか」の二択でしか選べないけれど、今後これはもっともっとなめらかなになっていくことは間違いない。

だったら、そんな世界へ向けて、自分たちでも試行錯誤を繰り返しながら、自分たちの一番納得感のある方法にたどり着いたほうがいいなと思うのです。

最後に

きっとこれからは、お金を払う側にも、プライシングの意思決定が求められてくるはずで。

すでに、polcaの上乗せ機能なんかがまさにそうですよね。

他者が決めた金額に対して「高い・安い」と文句を言っているうちは、「私を楽しませて!」の発想から脱却することはできない。

参照:大切にしたいひとをちゃんと大切にしたいから、余計なひとを引き寄せない。 | 隠居系男子

「あなたは、これに対していくら支払いますか?」と問われた時に、自分で自分の納得感のある金額をすぐに支払えるようになること。

しかも、それで自分だけが得をするのではなく、他者と心地よく共存できるように、適切なお金を社会に循環させていくことができるかどうか。

そんな成熟が、これからの世の中ではより多くの人々に求められるようになってくるのだと思います。

参照:「コミュニティの誰かが成功したら、みんなでシェアしようぜ!」という発想から考える、新しいコミュニティ設計の可能性。 | 隠居系男子

最後はかなり抽象的な話になってしまいましたが、いつもこのブログを読んでくださっている方々にとって何かしらの参考になれば幸いです。

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