今朝こんなツイートをしてみました。
相変わらず、ど直球のヤンキーだな、この人は…。笑:集まる理由が欲しかった。それを「居場所」と呼ぶのだろう #旅と写真と文章と|伊佐 知美|note https://t.co/y4RSASNS2O
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年8月6日
オタクの人は、「ヤンキー VS インテリ」っていう対立構造に持ち込みたがるけれど、僕が実現したいことのひとつは、ヤンキーにオタク要素を持ち込むことだし、オタクにヤンキー要素を持ち込むことなんだよなあ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年8月6日
ウェブメディアからオンラインコミュニティの流れって、見方を変えれば「オタクからヤンキーへ」っていう流れでもあると思うんです。「せっかくオタク文化がウェブ上に形成されたのに、そこにまたヤンキー文化を持ち込むな」っていう気持ちもよくわかるけれど、それをうまく混ぜていきたいんですよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年8月6日
だって、人間なら誰しもどちらの要素も持ち合わせていますからね。あえて対立させる必要なんてないと思うんです。いいとこ取りしていきましょ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年8月6日
自らのルーツを辿ることの重要性。
自分がこれまで通ってきた文化と文化の掛け合わせ。そうやって両者を組み合わせることで、新しい文化(ジャンル)が生まれると僕は思っていて。
「自らのルーツを辿ることの重要性」というのも、ここにある気がするんですよね。
別に外に答えを求めなくても、もう既に自分の中にあったりする。
自分の過去を振り返った時に、「努力の娯楽化」と言えるほどハマったものと、ハマったものをかけ合わせていけば、自然と新しい創造物って生まれてくるんだと思うんです。
最後に
以前書いた記事だと、このあたりの話にも近いのかもしれません。
「私にとっては、どちらも大切なものだけど、このふたつは絶対に繋がるわけないよなあ…。」
そう思い込んでいるものほど、実は繋げてみると面白かったりするんですよね。
そもそも、その発想が自分の中に生まれてくること自体が、これまで自分が生きてきた証であり、唯一無二なわけですから。
そして、それをひとは「独自性」と呼ぶのかもしれません。
今日のブログがいつもこのブログを読んでくださっている方々にとって何かしらの参考になれば幸いです。