最近つくづく思うのですが、大切なことは、始めること。
始めてみて、初めて直面する壁や問いを必死で解決しようとする、または「こうやったらもっと良くなるかもしれない!」っていう発見や気づきを得て実践してみること。
そんな経験を通して、初めてひとは成長するんだと思います。
「失敗したひとが羨ましい」の真意は?
そんなことを考えていたら、最近自分の中で明確な変化が起き始めているなあと感じました。
それが、タイトルにもあるように、「失敗したひとが羨ましい」ということ。
自分がやろうと思っていたけれど、結果的にやらなかったことって沢山ありますよね。
それを他者が挑戦して、しばらくした後に成功した姿をみると「あー、あのとき自分もやればよかったなあ…。」って悔しい思いをするじゃないですか。
それは、きっと誰もが共感してくれる感覚だと思うんですよね。
でも、最近の自分はそうじゃなくて、挑戦して見事に失敗したひとの姿をみて、「あー、自分もあの時やればよかった!」って思うようになったんですよ。
意味わからないでしょう?失敗しているんですよ?
でも、その姿を見て、とても羨ましいなあと思うのです。
中高生の部活動や恋愛に例えるとわかりやすい。
たとえば、中高生の頃の「部活動」とか「恋愛」とかに例えるとわかりやすいかもしれません。
「全国1位になる!」とか「あの憧れの先輩と付き合いたい!」とか、そういった無謀な目標を掲げて、チャレンジした結果、見事に玉砕している生徒がいるとします。
僕らはそんな彼らを見て「やらなければよかったね!」なんて思わないじゃないですか。
むしろ「挑戦して良かったね!『負けたことがある』というのがいつか大きな財産になるよ。」って思うはずで。
逆に、ずっと斜に構えていて、何ひとつ失敗もしていないけれど、チャレンジしてこないまま学生生活を終えてしまう子に対して、一番可愛そうだなあって思うと思うんですよね。
結局それと同じなのかなと。
中高生というと、みんなが経験したちょっと遠い過去だから理解してもらいやすいだけで、実はそれって現在進行系でも起きていて、「得られたかもしれない学び」を逃したという感覚は、その感覚と非常に似ているんですよね。
最後に
自分のこれまでの経験を通してみても、まわりの方々を見渡してみても、その失敗が糧となり、次の成功を掴んだ(掴めた)ことが手に取るようにわかってきた。
だからこそ、斜に構えないことが何よりも大切で。
挑戦したいことはドンドン実践してみる。
そして、実践者の目の前にしか現れない石に全力でつまづきましょう。どうせすぐに飛び越えられるようになるんですから。
何か新しいことにチャレンジすると、自分でも見るに堪えないほどレベルの低い時期が必ず存在するのですが、長い人生の中で捉えると本当に一瞬で過ぎ去る時期なんですよね。でもどうしてもみんなそこに耐えられない、我慢できない。成長って比例ではなく反比例みたいな伸び方をするはずなんですけどね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年12月18日
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。