昨日、こんなツイートをしてみました。
最近「スナック」からヒントを得ようとしているひとたちがかなり増えてきた印象だけど、一方で「ブティック」からヒントを得ようとしているひとは、まだまだ少ない気がしてる。
「スナック」と「ブティック」の話がおもしろい!スナックのようなウェブメディアを目指して。 https://t.co/UdjuISVXfK
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年3月5日
EVERY DENIMはもう完全にブティック化してきていると思うし、イケウチオーガニックさんも洋服じゃないけれど、ブティック化しているからあれだけ成功しているんだと思う。あと、このふたつと並べて良いのかわからないけれど、 #服屋三浦 も町のブティックとやっていることはすごく似ているんだよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年3月5日
スナックもブティックも、きっとやっていることは同じで、常に見ているのは「いま目の前にいるあなた」なんだと思います。ペルソナやターゲットという言葉で一括りにしてまとめるのではなく、「◯◯さん」とちゃんと名前で呼ぶことができる、私とあなたの関係なんだと思う。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年3月5日
スケールだけを求めると、顔と名前が消えてしまう。
すべてのコミュニケーションは、「私とあなたの関係性」からしか始まらないはずなのに、規模感を求めると、なぜかいま目の前にいる相手を疎かにしてしまいがち。
「自分が目指す先はもっともっと遠くだから、こんなところでモタモタしている場合ではない」となってしまうのでしょう。
その瞬間に、目の前にいるひとりの人間が顔と名前を失い、ただの数字に置き換わってしまう。
スケールするためには、一人の人間を数字としてみたほうが扱いやすいのは事実ですからね。
ただ、本当に自分たちが求めているものはそこにあるのか?
それは、いま一度問い直したほうがいいように僕は思います。
社会的に「スケールすることが善だから」という理由以外に、本当に自分たちが目の前にいるひとりの人間から、顔と名前を奪う必要はあるのか?と。
お客さんの顔と名前を覚えていることは、もっと誇ってもいいこと。
小売をしている方々の中には、お客さんの顔と名前をすべて把握していることを恥ずかしがる人がいます。
規模感が小さいんだと思われることが、きっと嫌なのでしょう。
でも僕は、お客さんの顔と名前を覚えていることをもっともっと誇っていいことだと思っています。
お客さんの名前を一人ずつ覚えていることは、本当にとっても凄いことなんですよ。
何度も繰り返しますが、いま目の前にいるひとを大切して、「私とあなた」の関係性からしかコミュニケーションは生まれないのですから。
そこを疎かにしていないということが、今の時代にどれだけ大切で有意義なことなのか。
最後に
こうやって考えてくると、最近よく聞くようになった「小さな経済圏」という言葉の真意は、ただの数字に置き換わってしまったお客さんに、また顔と名前を取り戻そうとする行為なのかもしれないなと思うのです。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になったら幸いです。