「インターネットには地方大会がない」を読んで。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

7月末に更新されていた「今日のダーリン」。インターネットには地方大会がないというお話です。

インターネットの世界には、こういう図(甲子園の地方大会)がない。
はじめから全国大会に登場できるのである。
若くてへたくそな時代から勝ったり敗けたり、
七転八倒して強くなって地方大会を抜け出すのでなく、
送信ボタンを押したとたんに全国大会なのである。
「おれに、そんな資格があるだろうか」
などと悩むこともなく、
「勝負勝負、いざ立ち合え」と毎日デビューできるのだ。
このフラットさは、インターネットの素晴しいところだ。
しかし、同時に、「地方大会」を省略しているところに、
「育つ、育てる」には向いてないメディアだなぁと思う。

はじめから全国大会に出られる時代だからこその、
育ち方育てられ方が発明される必要がありそうだ。
地方大会のような場を、どうやってつくるかが、
ひとつのカギになるように思えるなぁ。

引用元:ほぼ日 – 今日のダーリン

この問題意識は自分も常々思っていて、よくぞ書いてくれましたという感じ。きっと僕と同じように若い世代の中にも、このインターネットには地方大会がないことに対して、問題意識がある人もいるのではないのかなと思います。

地方大会のような場を、どうやって作り出せばいいの?

さて、それでは地方大会のような場を、どうやって作り出せばいいのでしょうか?

そもそも何が問題なのかと言えば、インターネットは移り変わりがはやくて、バブルも起きやすく、実態が正しく評価されない事が多いといういことです。

もし、ネットで事業を営んでいれば、さらにここに投資とかの話も絡んできて、そのバブルの大きさもドンドン大きくなっていく。

まさに“豚もおだてりゃ木に登る”状態になるわけです。散々祭り上げられて、バブルがはじけるように一瞬にして消えていくことにもなりかねない。

ちゃんと育つためには、自分たちの実態を見定める必要がある。

じゃあ、ちゃんと育っていくためには、どうすれば良いのでしょうか。

そのためには、まずは数字に踊らされないことだと思います。それは上述したように、景気の良い数字だけじゃなく、過小評価の数字の場合だってそう。

ネット上だと、たまたま見られ方が悪いというだけなのに、それを真に受けて自分のことを過小評価しすぎる人もいる。それはそれで違うかなとも思います。(“サルもネガティブになりゃ、穴を掘る”みたいな。)

できる限り客観的な視点を持ちながら、自分たちの実態を見定めて、適切な判断を下すことが大切なんだろうなと。

じゃあ、自分たちの実態はどうやってはかるべきなのか。

それはやはり、自分たちなりの「ものさし」を持つことが大切なのだと思います。成長するための道筋を自分たちなりに描いてみて、それに従って一歩ずつ着実に積み重ねていくことができるかどうかなのでしょう。

最後に

さて、ここからは完全に蛇足ですが、その成長するための一つの道筋というか補助線として、「誰にどんな風に認められたいのか。」を予め明確に定めてしまうのもよいのかもしれません。

「誰に、どんな風に」という部分をしっかりと決めて、一人の人間に定めてしまう。徒弟制度にも近い発想ですよね。

インターネット上のコンテンツと言うのは、不特定多数の人達に向けてつくられるものだからこそ、あえて「この人にこんな風に認められたい!」ていうのを決めてしまうのも良いのかもしれないなと。

もちろん、その感情が「見返してやる」っていう感情でもいいのかもしれません。(そう考えると、このタイミングで細田守監督が「バケモノの子」で、まさにそんなストーリーを描いてきたというのも、途端におもしろく思えてくる)

自分の見ず知らずの人達から、すぐに多くの評価を得られてしまう時代だからこそ、より多くの人ではなく、目の前にいるこの人に認めてもらうためにはどうすればいいのか、そんな発想が重要になってくるのかも知れません。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

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