ブログ読者の方から教えてもらった「ブレーン・参謀」をまとめてみた。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

前回書いた「官兵衛とか千利休とか「ブレーン」として活躍した人物に興味がある!」という記事。

この中で、「あなたの好きなブレーン・参謀を教えて下さい!」と最後に載せてみたら、こんなニッチな質問にも関わらず、なんと7名の方からご意見頂けました。

今日は、皆さんから教えてもらった「ブレーン・参謀」をまとめてみようと思います。

白洲次郎

@tugumisakiさんから。

白洲次郎さんは日本国憲法成立に関わる重要なブレーンだったとか。比較的最近の方なので微妙かもしれませんが。


白洲次郎 – Wikipedia

森繁和ヘッドコーチ

@kingswing55さんから。

中日ドラゴンズの常勝期を支えた森繁和ヘッドコーチがぼくにとっての名参謀です。

監督の落合博満さんは野球好きなら誰もが認める名バッターでした。
落合監督は野手だったので、自分は投手については素人と語り、投手についてはすべて森コーチに一任されてました。

野球界では異例のことであり、落合監督が退任されてからこの事実が公になりました。

打の落合、投の森が機能したからこそ中日ドラゴンズが勝ち星を積み重ねてこられたんじゃないのかなと思います。


森繁和 – Wikipedia

藤沢武夫

@koopopさんから。

藤沢武夫さんです。自分の思いに突っ走る本田さんの願いが叶うようにバックアップした人というイメージが有ります。


藤沢武夫 – Wikipedia

本多正信

@odaijiさんから。

黒田官兵衛、と思わせつつ
直江兼続、と思わせつつ
片倉小十郎、と思わせつつ
太原雪斎、と思わせつつ
小早川隆景、と思わせつつ
本多正信が好きです。上の5人も好きですが。

権威のある役職についたら家禄をたくさんもらってはいかん、という思想の元、関ヶ原の合戦のあとの「大名鉢植え政策」を実行し、徳川300年の礎を築いた男です。


本多正信 – Wikipedia

南光坊天海

@foo1048さんから。

南光坊天海。家康のブレーンとして江戸の街を作ったらしい。また、明智光秀が生き延びて、天海になったという説も聞いたことがあって、興味深い。


天海 – Wikipedia

大村益次郎

@soymilkflakeさんから。

戊辰戦争の時に新政府軍の参謀として活躍した大村益次郎です。元長州の医者なのですが、ある意味寄せ集めの新政府軍が勝てたのは最新鋭の武器だけじゃなく、彼の貢献が大きいと思っています。最後の地の大阪にも石碑があるのですが、先週末行った靖国神社にも立派な銅像が立っててすごく驚きました。

ちなみに官兵衛か半兵衛かと言われれば断然半兵衛派です笑
大河では官兵衛も岡田君が演じてて格好いい感じですが、日本の孔明と言われるほどの頭脳を持つ天才ながら、病気で早くに他界したという悲劇の参謀半兵衛はミステリアスさも加わって相当格好いいイメージです笑


大村益次郎 – Wikipedia

石田三成

@Nagazine_Shigaさんから。

やっぱ石田三成ですかねぇ〜。
ベタですが関ヶ原の西軍側に魅力を感じています。


石田三成 – Wikipedia

最後に

いかがだったでしょうか。

実業家、野球コーチ、経営者、戦国武将、僧侶、武士など、様々なジャンルの人が集まったので、気になる人物が一人はいたのではないでしょうか。僕もこの機会に、7名全員調べてみようと思います。

今回ご意見してくださった方々、本当にどうもありがとうございました!

やはり「集合知」というのは面白いなと実感したので、このブログを読んでいる方々に向けて、また何かしら意見を求めてみようと思います。

その際はぜひみなさんご協力して頂けると嬉しいです。

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

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