なぜ僕は、毎日ブログを書くことを辞められないのか。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

今日も昨日に引き続き、「東京国際文芸フェスティバル」についてです。

参照:東京国際文芸フェスティバル2014オープニングイベントに参加して納得した「母国語」で書く意味。 | 隠居系男子

今回は第2部で語られていた「作家の定め」について。更にそのお話から、僕が毎日ブログを書くことを辞められなくなってしまった理由について、書いてみたいと思います。

作家という職業の定め

「作家にとって到達点とは何か?」という問いかけから始まった第2部のディスカッションだったのですが、全員に共通する意見は「作家には到達点が存在しない」ということ。

人間は常に何かを感じて生きている生き物。

人間とは、常に何かを感じ取って生きている生き物です。

西加奈子さんはこれを前提とした上で、「もし作家として書かなければ、目の前で起きたことに対して、何も考えないまま終わってしまう。」と仰っていました。

「もし書かなければ、目の前で起きた出来事に対して感情の波がおこるだけ、辛い出来事であれば、心を痛めるだけで終わってしまう」のだと。

しかし、作家であればそれが許されない。自分が感じた怒りや悲しみ、喜びや幸せを、しっかりと文章に落としこんでいかなければいけない“定め”にあるのだと。

作家は起きてから寝るまで作家である。

これに対してアレクサンドダ・ヘモンさんも同様のお話をしていました。

作家には、ボスもいないし明確なゴールがあるわけでもない。だから、カンタンにそのことから目を背けることも出来る。

しかし、朝起きたら自分は既に作家であって、夜寝るまでずっと作家であり続ける。そこに休憩はあり得ない。プライベートと仕事の区別が存在しないのが作家であり、私達は常にネタを探している。

つまり作家にとって、自分が何かを感じ取ったのに、そこで何も書かないということは、それすなわち自分自身を否定することにもなりかねないわけです。

ネタが枯渇するということはあり得ない。

また、「作家にとって書くことは、世界と関わることである。」と3人は口を揃えて言っていました。

そこに“到達点”というものは存在せず、人と話をして、情報を得て、世の中と関わりながら、常に作家の仕事をしている状態であると。

更に、世の中で出会うものには、必ず物語性がはらむものであるから、そうやって世界と関わっている間はネタが枯渇することはあり得ない。

たとえ自分が出し切ってしまったとしても世界は枯渇しないから、そうやって刺激を受け続ければ、ネタはいくらでも湧き出てくると。

こんな話からも、上記で語ったような「作家の定め」がいかなるものであるのか、垣間見ることができると思います。

最後に

最後に少しだけ自分の話を。

自分もブロガーであり“物書き”の端くれなので、今回の話はものすごくど真ん中に響きました。

ブログを書き始めるようになって、「毎日書きたい。いや、毎日書くべきだ。」と半ば義務感のように感じていたところは、正に彼らが語るような理由が自分の中にも存在したからだと思います。

自分が世界に対して感じたことを文章として落とし込まなければ、自分に嘘をついて生きているような気持ちになってしまう。

プロの作家さん達と同列に語るということは非常におこがましいですが、物書きというのはそういった気持ちがキッカケで、文章を書きながら世界と向き合って生きているのだろうなと思います。

今回、「作家という職業の定め」を一流の作家さんたちから聞いたことにより、自分の漠然とした気持ちを代弁してもらえたような気がしました。

こんな素敵なイベントに参加できたことを、心から感謝します。

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

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