京都は観光地としてどこを目指すのか。

京都でこのブログを書いています。どうも鳥井です。

京都で働いている友人が、ココで誕生日を祝ってくれるといってくれたので、勢いに任せて来てしまいました。

過去に1度しか京都に来たことがなかったので、この機会にもう一度京都巡りをしておきたかったのも理由の一つです。

海外に行くと兎にも角にも日本=京都・東京です。皆が京都の名前を知っていて、一度は行ってみたい日本の観光地としてあげています。

しかし自分は東京の情報を伝えることができても、京都の話は今まで聞かれてもうまく伝えることができませんでした。

これからまた本格的に海外に出て行こうとする中で、時間のあるうちに京都を見ておかなければと思い、今回時間を使って色々な場所を巡ってみました。

今回の旅の目的は、まだ行ったことのない王道の観光地を回ること。

そしてもう一つは、外国人の行動に注目すること。

具体的には今回、四条河原町→祇園→八坂神社→平安神宮→京都美術館→南禅寺→哲学の道→銀閣寺→一乗寺下り松→恵文社→嵐山→龍安寺しかまわれていません。

他のメジャーどころは前回行ったので、これでひと通り回ったとは思いますが、以下に書く内容は今回の旅行で感じた話がメインです。

まず、外国人を見ていると2パターンに分かれていました。折り目がいっぱいついてかなり読みこんであろうというガイドブックを片手に、前のめりになりながら観光している人々、もう一方は完全に手ぶらで、何かを目的にしているわけではなくふらっと歩きながら見ている人。前者は韓国人や中国人、後者は欧米人に多かったです。

しかしどちらの人たちに対しても、今の観光地には外国人が楽しむための情報が十分提供されているとは僕には思えませんでした。

京都にあるものは文化的なものが多く、それを楽しむためにはやはり一定の前提知識が必要なはずです。

確かに、日本語も中国語も韓国語も英語も全ての説明標識があり、観光客に向けた情報は揃っているように見えます。

しかし、自分も歩きながら日本語・中国語・英語のインフォーメーションを読んでいきましたが、どう考えても内容が適切じゃない。

そもそも日本史に興味があり、ある程度の前提知識がなければ、あの内容がわかるはずがありません。

日本語の文章をそのまま各国の言語に翻訳することが、わかりやすく適切な翻訳ではないはずです。

相手の国の文化や歴史、国民性などを踏まえた上でどの部分を厚く語るべきであり、どの部分の説明不要なのか、そのことを考えた上での説明であるべきはずです。

また、観光地に限らず、お土産屋さんや飲食店も外国人用に申し訳程度に各国の言語で表記していましたが、店員さんたちはほとんど理解していないご様子。

そして各店舗ごとに、その表記や対応の仕方が全く違うので、あれでは外国人の方も安心して買い物したり飲食したりは出来ないだろうなと。

何かガイドライン的なもの、一定の基準などがあれば、有名な観光地付近のお店はそれに従って準備していくことができるかもしれません。

しかし、それは国や行政が整備するものではないのでしょうね。

今で言うとLINE@であったり、japan-guide.comのような「新しい何か」が中心となって進めていくのだと思います。それこそスマートフォンやアプリなどを駆使しながら…。

これからは、私企業が行政の代わりを担っていくというのはこうゆうところをとってみてもしっかりと伝わってきますね。

よく外国人(特に中国人)はマナーが悪いと言われます。
今回の旅行中も、彼らが日本語をわからないことをいい事に、日本人観光客が文句を言っている場面をよく目にしました。

しかし、彼らにわかるように日本のマナー(いやもはやルールというべきか)が書かれていないほうが僕は問題だと思います。

そんなもの立てていたら景観が悪くなるというならば、そういったものを彼らのスマホに表示できるようにしていくなど、なにかしらの準備がなされるべきはずです。

彼らはあくまで彼らにとっての普通の行動をしているだけであり、決して悪気があってやっているわけではないはずです。

ただ今回「これは可能性があるだろうな」と思えたのはホテルです。

以下の3つのタイプのホテルに泊まってみました。

一番おもしろかったのは9hoursです。

ここは宿泊客の半分以上が外国人かと思うぐらい外国人が多いのですが、HPを見てもらえればわかるように、ものすごくシンプルでわかりやすいシステムです。

中に入ってもわかりやすく図や絵で説明されており、これであれば外国人も迷うことなく利用できるんだろうなと。

このシステムをこのまま観光地に活かすことは難しいと思いますが、しかしこのような今までにない発想で、皆が使いやすいカタチを追求することは可能なはずです。

このように、京都にはまだまだ改善点がたくさんあると思います。

逆に言うと、京都でこの程度なんだから、他の日本の観光地が外国人観光客誘致に向けて本気を出せば、やり方次第で京都を越える地位を得ることだって可能だと思います。本当に。

でも、やはりなんだかんだで京都は日本の観光地の原点です。

外国人が来たら必ず行く場所であるからこそ、もっと深めて欲しいとも思います。

京都がこれからどうして行きたいのか、どこを目指しているのか、今回の旅行ではその意図は伝わってきませんでした。

あえていうならば、「この後も何年、何十年と、今のこの自然発生的なやり方を変えない、変えたくない」という事なんだろうなと。

そうであればヨーロッパみたいに町並みなどを条例でガチガチに守るべきなんだと思います。
でもそんな感じもしない。本能寺もあんなんだし…。

この数年で世の中のシステムはガラッと変化したと思います。
そんな中多くの人は、観光地にそれを取り入れる必要はないと思うのかもしれません。

しかし、アスファルトを敷いて観光地にバスを乗り入れる事ができるようにしたように、電気を通して冷暖房やライトアップをできるようにしたように、いま「情報」という新しい分野が観光地に入っていく時期なんだと思います。

今のこの京都を見ていると、事なかれ主義で周りの目を気にしながらその絶妙なバランスで保っているんだとはおもいますが(そこが日本人のいいところでもあると思います)次来た時には、この街からなにかしらの方向性が伝わってくる事を強く願っています。

それでは今日はこのへんで。

ではではー。

鳥井弘文

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