相対評価の中で一番を目指すことに妥協しないで欲しい。

どうも鳥井です。

自分の評価が相対的に上がる場所を選び、そこで一番を獲得しようとすることって、よくあるじゃないですか。

たとえば大学受験だったら、本当は東京の大学へ進学したかったのに、1年浪人しても箸にも棒にもかからなかったから、妥協して地方の国立大学へ行って地方公務員を目指すとか。

本当は弁護士を目指したかったけど、司法浪人しても司法試験合格できなさそうだから、それを諦めて司法書士を目指すなんていう選択肢もそうかもしれません。

最近だと、アラサー女子が田舎では若い子扱いされてモテるから、アラサー女子は地方へ移住するべき!っていう論調なんかもそうだと思います。(これの男性版は、東南アジアなどの発展途上国へ行くこと。)

でもそれって本当に正しい在り方なんでしょうか。

今日はそんなお話を少しだけ。

それが本当になりたかった姿なのかどうか。

結論から言えば、「それが本当に自分がなりたかった姿なのかどうか」だと思います。

もちろん、上記で挙げた例が一概に悪いと言いたいわけじゃなくて、本当に自分がなりたかった自分になれている(近づいている)のであれば、全く問題はないと思います。

ただし、いま居る場所で評価されないから、それが悲しくて辛くて…という理由で、相対的に自分の評価が高まる場所に移動して、「いまのわたし幸せ!」っ喜ぶのは違うのかなと。

当然、ライフステージが変化していく中で、自分の中の価値観も変化していき、自分の目指したい一番が変わることもあるでしょう。

そんな変化した評価軸に照らし合わせて、選び取った道であればいいけれど、周りの声に流されて選んだ道であれば、考え直したほうが良さそうです。

「スゴいですね!」と言われる環境に自ら入っていったら、すぐに腐ってしまう。

この話って、周りから「スゴいですね!」と言われ続ける環境にいたら、人間すぐに腐ってしまうという話にも似ているのかもしれません。

今の自分が「スゴいですね!」と言われる環境に自ら入っていったら、すぐにフヤケて腐ってしまいます。

チヤホヤされて嬉しいのは最初だけで、結局虚しくなってしまうだけ。

最後に

「本当に自分が辿り着きたかった場所はここなのか」と、常に自問自答し続けることが大切なのではないでしょうか。

周りの声に流されることなく、「自分は本当は何がしたかったんだっけ?」と、時には1人孤独になって考えてみること。

今日書きたかったことも、最近ずっと主張し続けている「良し悪しの基準は自分の中に。」ということなんだと思います。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

スポンサードリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。