昨日、とっても楽しいインタビューを受けさせていただきました。
今日の午後は慶應と東大の大学院生が上野まで来てくれてインタビューを受けました。テーマは「休み方のデザイン」。働き方ではなく、あえて休み方に着目することで、生活をより良くするライフスタイルを模索していきたいとのこと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年6月12日
この問いの設定が個人的にはめちゃくちゃ面白くて、学生さん達と対話する中で「休み方」についていろいろと考えさせられた。確かに「休む」って当たり前に言うけれど、休み方の定義ってめちゃくちゃ曖昧だし、無意識のうちに従来の固定観念にとらわれていて、今まで真剣に考えてこなかったことだなと。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年6月12日
でも「働き方」の裏には絶対に「休み方」があるわけだから、新しい働き方について真剣に考えたいと思うのであれば、新しい休み方から考えることは、とても良いアプローチだなと。新鮮で斬新な目線を与えてもらった気分。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年6月12日
仕事も休暇も合わせて「道楽」である。
インタビューを終えたあとも、自分なりに色々と考えてみました。
その結果、「仕事も休暇も合わせて『道楽』である」が僕にとって今一番しっくりくる答えなのかなと。
一般的に、道楽って「道楽息子」などネガティブな意味合いで使われることが多い言葉ですよね。
しかし、先日聴いていたラジオ番組『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』内で放送されていた、鈴木敏夫さんと東京龍雲寺の住職・細川晋輔和尚の対談の中で、とてもおもしろい話が語られていたんです。
「どう生きるか?」という話題の中で、細川和尚は「道楽」という言葉の意味について説明していました。
細川和尚曰く、道楽とは「道を歩むことの楽しさ」という意味らしいです。
もともとは仏教用語で「仏道を明らかにしていくことを楽しんでいこう!」それが道楽の語源であると、細川和尚は仰っていました。
この話を聴いた時に、なんだか自分の中でものすごく腑に落ちたのです。
休暇でもなく仕事でもなく、常に公私混同であり続ける。
それは決してネガティブな意味ではなく、このブログでも何度か書いてきましたが、「道にしたい欲求」と「楽しくしたい欲求」の両立であると思っています。
若者の道にしたい欲求、それは後世に残すための手段としてなのかもしれない。 | 隠居系男子
メディアが勝手に腫れ物にしてしまわないこと。 | 隠居系男子
「道を歩むことを楽しむ心」であり続ける。
仕事を仕事だと思わないし、休暇を休暇だとは思わない。
朝起きてから夜寝るまで、常に「道を歩むことを楽しむ心」であり続ける。
その状態がまさに「道楽」であり、僕が考える「新しい休み方」、そして「新しい働き方」ないしは「これからの生き方」なのかもしれません。
今日の話が皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。