どうも鳥井(@hirofumi21)です。
先日、久しぶりに会った友人と話していて、とてもおもしろい発見がありました。
彼は、過去にAKBファンだったことがあるのですが、今はもうAKBには興味がないとのこと。しかし、前田敦子だけは今も変わらずに好きらしいのです。
話をよくよく聞いてみると、その原因はやはり実体験として“直接会う”ということが大きかったのだなと。
もしかしたら、マスメディアやインターネットの発展によって訪れた「高度情報化社会」と言うのは、過去に比べて情報が“少ない”時代なのかもしれません。
今回は、この事について少し書いてみようと思います。
会いにいけるアイドル。
アイドル界において、今や当たり前となった「握手会」。
もちろんその友人も、AKBの握手会が社会的に話題になっていた頃、何度も握手会に足を運んでいたそうです。その数なんと8回。
アイドルヲタクの方々から言わせれば、決して多くはない回数かも知れませんが、一般的な「人と会う頻度」から考えれば、かなりの頻度で会っている部類に入るでしょう。
それがたとえ数秒間であっても、期待感が高められている中で、直接本人にあって目を見て言葉を交わせば、その刺激は計り知れないのかなと。
人と直接会うことで、膨大な情報量が得られる。
少し話は変わりますが、僕はこのブログで何度も「実体験の大切さ」を書いてきました。
特に、自分にとって気になる場所があれば、まず現地へ行ってその空気感を感じとるべきだと。
では、なぜ僕は「実体験の大切さ」をこれほどまでに力説するのか?
やはりその一番の理由は、実体験は得られる情報量が圧倒的に増えるからです。
情報と言えば、テキストの量や画像のピクセル、動画のサイズなど、数値化出来るものだけと判断されがちですが、“本当の意味での情報”というのは、数値化できないものの方が断然多いわけです。
それこそ五感をフルに使い、更に第6感、7感、8感…と僕らが全く意識していないような“感覚”すらも、実体験を通して“情報”がダイレクトに流れ込み、それを受け取っているはずなのです。
上記の友人もきっと何度も前田敦子に会いに行き、握手をして言葉を交わすうちに、メディアを通して彼女を見ているだけでは決して得ることができない膨大な情報量を得て来たのでしょう。
高度情報化社会とは情報が“少ない”時代
さて、今の世の中は高度情報化社会と呼ばれ、処理しきれないだけの情報が溢れ返っていると言われていますが、果たして本当にそうなのでしょうか。
確かに僕らは、マスメディアやインターネットを通じて有り余るほどの情報に触れています。しかし、そこで得られる情報と言うのは、あくまで数値化出来るものだけであり、認知できる感覚は「視覚」と「聴覚」だけ。
しかし、情報というのは上記で述べたようにデジタルに置き換えて数値化出来るものだけではありません。人間の場合は少なくとも五感はフルに使って外部の情報を判断しており、第六感だって間違いなく存在するはずです。
そう考えてくると、僕達の身体は、無意識のうちにその情報量の少なさや、その情報の吸収に偏りがあるということに気がついているのかもしれません。
高度情報化社会というのは、昔のファストフードで世の中が溢れかえっていた飽食の時代と同様で、本当に大切な栄養素は抜け落ちているのだと、僕は思うのです。
もしかしたら昔の人々のほうが、よっぽど多くの情報を受け取りながら生活していたのかもしれません。
最後に
最近ラジオで聞いて面白かったのが、「旨味」や「甘み」という味覚は、人間が生きるために発達した感覚であるという話です。
「糖類」は脳のため、旨味に含まれる「アミノ酸」などは体を作るために、人間にとっては必要不可欠な栄養素。
その昔、甘みや旨味が味覚として知覚できなかった人間は、生きながらえることができなかった。甘みや旨味がわかる人間のみが進化して現在に至っているという。
つまり、しっかりと必要な栄養素をバランスよく摂取できた者だけが、この進化の過程を乗り越えてきたということです。
いま、人に直接会いたくなる理由、地方が注目される理由、旅が流行る理由というのも、実は全てここに原因があるのかもしれません。
もしかしたら人間としての根源的な欲求、生きるために必要な活力や原動力となるような目には見えない情報を得るために、今人々は”実体験”を求める方向へ急速に舵を切り始めたのかもしれないなと。
最後はかなり抽象的なところに話が進んでしまいましたが、なにかしら皆さんの気付きにつながれば幸いです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー。