「昔はよかった」と語るイケてない人とは、素直に距離をおこう。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

「昔はよかった。」みなさんもよく聞く言葉だと思います。

糸井重里さんがこの言葉を使わない理由について「ほぼ日」に書かれていたので、今回はその文章をご紹介しつつ、平成と昭和の狭間に生まれた僕たちの世代だからこそ、「イケてない人」とは距離をおくべきだという話について少し書いてみようと思います。

「昔はよかった」と言ってしまうと、考えることが止まってしまう。

ぼくは、できるだけ、「昔はよかった」というような
「なつかしいことは、いいことだ」的なことを言うのは、
抑えるように気をつけている。
いまよりも、昔のほうがよかったというのは、
もともとの基礎点が高いような気がする。
昔のものごとは、衰退しているものがほとんどだから、
現実的な力を持っていない。
現実の世界で力がないもののほうに肩入れするのは、
いわば「判官びいき」というやつである。
つまり弱いもの、失われていくものに味方するのは、
「言うだけ」でお終いなので、反論するものもいない。
「なつかしいなぁ」「昔はよかったなぁ」と、
共感しあって、それを楽しめばいいというだけだ。

なにか文章を書くとき、「昔はよかった」をやると、
いくらでも書けてしまうし、ある程度の共感も得られる。
ぼく自身のなかに、なにかをなつかしんだり、
「昔はよかった」と思う気持ちがないわけでもないが、
それをやってしまうと、考えることが止まってしまう。
だから、なるべくやめとこうと思っている。

引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 – 目次

懐古主義の人とは、素直に距離をおく。

「昔はよかった」といいながら、懐古主義・昔の価値観から抜け出せない人が多く存在します。

そうゆう人同士でなれ合っている分には構わないのですが、それを現代を生きる若者に押し付けようとしてくる中年の方々は本当に厄介です。

そんな方々とは、「そうゆう生き方もあるんだなぁ」と思いつつ、素直に距離を置くべきなのでしょう。
参照:「多様性を認めない人は認めない!」って言ってる多様性が多いというお話。 | 隠居系男子

「イケてない人とは関わらないほうがいい。」

最近、ある方に言われて本当にその通りだなと思ったのが「イケてない人とは関わらないようにするべきだ。」という助言です。

これって実はものすごく大事なことだと思います。特に僕たちの世代にとっては。

どうしても僕達の世代は、何が正解なのかわからない時代に生きてきたので、全てが不正解に聞こえる反面、全てが正解に聞こえてしまう時があります。

だからこそ色々な意見を取り入れようとして、八方美人になってしまい、すべての人の意見が尊いモノだと勘違いしてしまい、時としてイケてないなと感じる人の意見にも耳を傾けようとしてしまいがちです。

しかし、自分がイケてないなと思ったら、本当は素直に距離を置くべきなんです。特に声の大きい“懐古主義の中年世代”の人たちの意見には惑わされないことです。

「イケてない中堅キャラについていくと、必ず失敗する」は少年漫画のテンプレ。

少年が成長していく系の王道少年漫画を思い出してもらえればわかりやすいと思うのですが、成長する若者に対して中堅の中年キャラというのはいつも自分の価値観を押し付けてくるものです。

その反面、老人や仙人キャラまでいくと完全に好きな様にやらせてくれる。具体的な事は何も教えてくれないけれど、何時の時代にも変わらない絶対的な本質を主人公自らが気がつけるように、少しだけ助言してくれる。

しかし、中年キャラの声のデカさにおののいてしまい「本当はイケてないな…」と思いながらもそっちについていってしまうと予想通り失敗するというのは、もはや少年漫画のテンプレと化しています。

最後に

「昔はよかった」を繰り返し、この人はイケてないと思ったら素直に距離を置くことです。それぐらい単純なことでいいんだと思います。

「世の中にはこうゆう人もいるんだなぁ」と社会勉強のためぐらいに捉えておくのがベストなのでしょう。

もちろん勘違いして欲しくないのは、人の意見を聞くことは間違いなく大事なことです。人のアドバイスは素直に聞くべきです。それは間違いありません。ただ、決して鵜呑みにしないこと。自分で考えてみることです。

このブログを読んでくださっている方々は、アドバイスを聞く大切さの方ばかりを盲信しすぎて、疑うことをしない真面目すぎる世代だと思うので、敢えて大きく振った内容で書いてみました。

みなさんの何かしらの参考になれば幸いです。

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

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