どうも鳥井(@hirofumi21)です。
どうやら、最近の若い人のあいだではメッセージの最後に句点を打たないのが当たり前のようです。
特に今の大学生の間ではそれが顕著。僕が大学生とメッセージのやり取りをすると、「楽しかったです」とか「承知しました」とかそんなメッセージが当たり前のように送られてきます。
僕はそんなメッセージがくる度に「いやいやいや…句点や疑問符、感嘆符ぐらい付けようよ!」ってずっと思っていました。個人的には、ビジネスメールで顔文字や絵文字を使うのと同じぐらい失礼なことだと思っていたのです。
でも、最近は時代の流れとして当然の変化なのかなと。今日はそんな話について少し書いてみようと思います。
句点を付けないことは、マナー違反ではない
まず、メッセージに句点を付けないというのは、決してマナー違反ではないようです。
軽くググっただけなので、本当かどうかはわかりませんが、昔はメールに句読点を打つと文字化けしたという理由から、ビジネスメールで句読点を打たない人もいるみたいです。なので、句点を打たないこと自体は決して失礼なことではない。
僕が勝手に「失礼なやつだな!」って思っていただけです。すみません。
学生からすれば「迷惑な話だ」という感じだと思いますが「それでも、句点ぐらいつけようよ!」という気持ちは変わらない……。
じゃあ、この感情は一体どこからくるものなのか?それを考えてみると、やっぱり世代間のコミュニケーション文化の違いなのかと。
スマホ世代は即レスを求められるのが当たり前?
今のコミュニケーションの主流は、LINEやFacebookなどメッセンジャーアプリです。チャットのようなやり取りで話が進み、即レスが求められる時代。
一方、僕ら昭和世代はケータイメール全盛期の時代を生きてきて、まさにガラケー世代。「センター問い合わせ」というもはや完全な死語となってしまった行為が、当時のJ−POPの歌詞に頻繁に出てくるぐらいメジャーな行為でした。
そんな僕らにとって1通のメールのやりとりのスピードは、今のメッセージよりもだいぶ遅かったわけです。
だからこそ、文章の句点とか感嘆符、顔文字など文章の内容に表れることのない“表情”も重視していて、そこから相手の気持ちを読み取るというようなことも多かったです。
しかし、今の世代の子達は即レスの方に重きを置くということなのでしょう。文末の“表情”よりも、レスポンスの早さの方にその人の“表情”を読み取るということなのだと思います。もちろんそれ以外にもスタンプや画像など、感情を表す手段が格段に増えたという背景もあると思います。
だから彼らからしたら僕の方が失礼で、「鳥井、レスおせーよ!」って思われていたのかもしれません。
最後に
このような話は、僕らが中高生ぐらいの時にも似たようなことが議論されていました。「今の若い子達のはケータイのメールばかり送り合っているけれど、手書きのほうが書き手の想いは伝わる!だから手紙を書け!」と。
しかしフォーマットが変化すれば、それに合わせてコミュニケーション文化も変化していくのは当然のこと。前時代のフォーマットに慣れている人間がみたときに、多少の違和感を感じてしまうということだけの話なのでしょう。
このように考えるようになってからは、「これが彼らの文化なのだ」と思うようになり、特に気にせず受け入れるようになりました。
たったひとつの句点で、世代の違いがあらわれてくるから面白いものですね。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!