どうも鳥井です。
先日開催した、オンラインサロン「僕らの理想のデニムってなんだろう?」のオフ会である「大討論会」。
参照:モノを買う人、作る人、そのまた隣で煽る人。 | 隠居系男子
その時に、サロンメンバーの方が言っていた「物を手放す時のことを考えて、物を手にしている。」という話が、今でもずっと印象に残っています。
「その物に求めることを一通り自分の中に吸収したら、あとは潔く手放してしまう。」
この考え方がとても素敵だなと感じたので、今日はそんなお話です。
万能なモノなんて、この世には存在しない。
どうしても僕らは、モノは大切に長く使うべきだと思いがち。
世の中的にも「壊れるまで使い切ること」が良しとされています。
そして、最近は特にそんな風潮が特に高まってきている気がします。
しかし、これって本当なんでしょうか?
万能なモノなんて、この世には存在しません。
僕らがモノを手にするときは、必ず何かしらの「目的」があって、その「目的」を達成するためにモノを手にしているはずです。
そして、その「目的」が達成されれば、その物はもう自分に取っては必要ないもの。
モノから得たいメリットを、最初から明確にしておく。
だったら、最初から潔く手放すタイミングを考えておくことは、とても正しい考え方なのではないでしょうか。
そもそも自分は、このモノからどんな利益(メリット)を受けようとしているのか、それを手に入れる前からちゃんと意識して、実際に物を手にする。
そして、その目的が達成されたら、潔く手放していく。
「なんだかドライな考え方だな…」と思われるかもしれないですが、それぐらいドライな感覚でモノと付き合っていったほうが、“執着”しなくて済む。
むしろ、その方がよっぽど“今を生きる”に繋がる気がしています。
手放すことで、次のステージに進むことができる。
ネットの普及のおかげで、今は中古市場も盛んになってきて、ちゃんと長く使えるようなものであれば、次の引き取り手が容易に見つかる時代です。
大切に長く使うことは、決して自分一人で完結させる必要はないのです。
上質なものであれば、親から子へ、そして子から孫へ、3世代先まで引き継がれることだって十分にありえる時代です。
だったら、潔く引き継いで、自分は次のステージへと向かうべきではないでしょうか。
いつまでも執着して、そのモノにしがみついていることの方が、よっぽど僕はみっともないことだと思います。
そうやって淀みない川の流れのように、流動性のある方がなんだか健全な気がするのです。
最後に
安くて品質の悪い工業製品を次々と使い捨てするのは、もちろん言語道断。
でも、今を生きる僕らは「自分一人で、長く大切に使うことが善である」と、少しとらわれすぎているのではないでしょうか。
そう思って、今日のブログで少し書いてみました。
そして、この考え方はモノに限らず、色々な事柄に応用できると思います。
建物だってそうですし、住んでいる地域もそうかもしれません。
皆さんにとっても、何かしらの参考になれば幸いです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!