どうも鳥井(@hirofumi21)です。
下記の記事を読みまして。
「遠くのファンタジーと、近くのドキュメンタリー。」という言葉がすごく良い言葉だなと。
今朝は、この言葉を反芻しながら思ったことを連続ツイートしてみたので、それをまとめておきたいと思います。
“国と時代が遠く離れていくほど、空想の占める割合が大きくなり、「ありえない話」は「ありえる話」に姿を変えていく。”:遠くのファンタジー。 | 古賀史健 | note https://t.co/wnwbnUHprA
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月21日
「遠くのファンタジーと、近くのドキュメンタリー。」って考えれば考えるほどめちゃくちゃ学びの多い言葉だなと。いまファンタジーを作りたいのであれば、受け手から遠く離れたところへ行くべきだし、ドキュメンタリーをつくりたいのであれば受け手のすぐ近くにいるべきなんだと思う。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月21日
もう、国内で国内の人へ向けたファンタジーは受け手がシラケちゃうから作れないし、海外から国内の人へ向けたドキュメンタリーも、受け手にとってリアリティがなくなってしまうので、うまく届かない。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月21日
もう、国内で国内の人へ向けたファンタジーは受け手がシラケちゃうから作れないし、海外から国内の人へ向けたドキュメンタリーも、受け手にとってリアリティがなくなってしまうので、うまく届かない。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月21日
インターネットが作り手と受け手の距離感を近づけ過ぎてしまったせいで、国境とか時間とか言語とか、そういった越えにくい壁をうまく利用していかないと、受け手にとって響くものは作れないんだろうなあ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月21日
「灯台もと暮らし」編集長の佐野が書く「頭のなか、お花畑かよ!」って突っ込みたくなる濃ゆいポエムも、海外の風景写真が混ざることで、ある種のファンタジーへと昇華され、国内にいた時よりも多くの方々に届くようになったんだと思う。:https://t.co/Hif3t1viJx
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月21日
逆に、はあちゅうさんが書くコラムは、いつも徹頭徹尾ドキュメンタリー(セルフフライデー方式)になっていて、国内、もっと言うと東京で日々生産されているからこそ、毎回多くの方々に響く文章になっているんだと思う。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月21日
たぶんその中間にいるのが、高知県嶺北のイケダハヤトさんで、リアルな生活費の話とかは受け手にとって完全にドキュメンタリーなんだけど、「高知で広大な土地を購入し、村をつくる!」という宣言なんかはファンタジー要素満載ということなんだと思う。地域から発信する場合は、これがきっといい塩梅。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月21日
最後に
あと、最近すごく引っかかったのが下記のインタビュー記事。
“価値がないものや誰も気に留めないものに新たな価値を見つけて選び出したり、楽しんだりするセンスが、その人の評価になるんじゃないかと”:【インタビュー】「センスの時代に突入してる」水曜日のカンパネラ・コムアイが語るクリエイティブ https://t.co/4q4cPgHgND
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年7月19日
今日書いた内容と一見関係ないように見えますが、このあたりの関係性について深めていくと、次のフェーズが見えてきて楽しそうだなあって思っていたりなんかもします。
また何か思うことがあれば、このブログでまとめてみますね。
それでは今日はこの辺で。
ではではー!