相手の尺度を変えるために、相手の立場に立つことの重要性。

唐突ですが、「人を動かす」ためには相手の解釈を変えなければいけません。

くれぐれも、相手の解釈や尺度(ものさし)のまま、勝負しようとはしないことです。

わかりやすい例で例えると、スクールカーストの世界では、やっぱり足がはやくて、見た目が良くて、頭が良いやつが圧倒的に強いわけです。

それでもこっちのほうが「かっこいい、イケてる」と主張したければ、そのための解釈と尺度(ものさし)を提示し、自分の尺度で勝負することに正当性があることを相手に納得させなければいけない。

どうすれば、自分の解釈に正当性があることを相手に納得させることができるのか?

では、そのためにはどうすればいいのでしょうか?

ここが一番難しい問題です。

この点僕は、自分がどちら側の立場にたったとしても、全力でその解釈と尺度を肯定・否定できることが重要なんだと思っています。

つまり、どちらの立場に立ってもディベートすることができるということ。

参照:「SNSという空間は、諸刃の剣である」ということを肝に銘じる。 | 隠居系男子

でも多くの人は、自分の立場からは一歩も離れず、いかに自分の意見をいかにロジカルに語れるかということばかりにこだわってしまう…。

そうやって、一方的に自分の意見を主張してしまうから、たとえそれがどれだけ本質的なことだとしても、相手から疎まれてしまうのだと思います。

結局、最終的には誰からも話を聞いてもらえなくなり「どうしてみんなは理解してくれないの…!?」とドンドン塞ぎ込んでしまう。

そうやって、みなさん諦めてしまうのです。

その主張が本質的であればあるほどに、その落胆っぷりは大きくなるばかりでしょう。

自分の立場に固執せず、相手の立場や解釈から物事を覗いてみる。

だからこそ、自分の立場に固執せず、相手の立場や解釈から物事を覗いてみる。

自分の持てる想像力すべてを結集して、相手の主張を想像してみるんです。

ロジカルに自分の意見を説明するというのは、二の次でいい。

そうすることで、「どうして相手がその解釈や尺度にこだわるのか?」それが手に取るようにわかるようになってきます。

どんな人間であっても、自分の立場に共感を寄せてくれる相手には自然と耳を傾けるようになる。

そうやって、相手への理解を最大限示したうえで、そこで初めてこちら側の解釈の提示に入っていけばいいんだと思います。

もちろん、その際は絶対に相手の立場を否定せず、あくまで相手との交差点を探るようなイメージで。

最後に

「考え抜く」とは、つまりそういうことなんじゃないのかなと。

相手の立場と自分の立場を、何度も何度も行ったり来たりすること。

それを何回繰り返すことができたかで、考え抜いたかどうかが決まるのだと思います。

そうやって普段から「考え抜く」訓練を繰り返していれば、今自分が支持する立場がたとえ社会的に劣勢の立場にあるとしても、「居場所」や「存在意義」を与えることができるようになるんだと思います。

参照:人生を楽しむための教養。 | 隠居系男子

いつもこのブログを読んでくれている方々にとって何かしらの参考になれば幸いです。

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