どうも鳥井です。
昨日、こんなツイートをしました。
誰でも書ける内容にも二種類あると思っていて、それがコモディティとコモンセンス。前者は、過当競争になるだけだから、なるべく避けたほうが良いと思うけど、後者に関しては積極的に書いていくべきだと思う。「隠居系男子」も結局はコモンセンスの焼き直しに過ぎない。というか、そうでありたい。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年9月6日
このツイートのあとに色々と考えたので、今日はこのツイートの補足をしつつ、少しだけその考えたことについて書いてみようと思います。
コモディティとは?
さて、まずはコモディティとはなんでしょうか?
それは、誰が書いてみても、読み手の得られる情報が大して変わらないものです。
例えば、今夜発表される「iPhoneの新製品情報」の記事なんかはまさにこれですよね。
確かに万人に共通して人気なテーマなので、その分読み手の数も多いのですが、それ以上に書き手も多いので、すぐに供給過多となってしまいます。
その結果、過当競争になり、消耗戦となってしまう…。だから、なるべくなら、このあたりのニュース記事なんかは、個人のブログで手を出さないほうが無難です。
仮に、Appleの情報であれば、三日三晩調べ続けても、全く苦にならないっていうぐらい人一倍そのジャンルに興味があるというわけでなければ、避けるべきでしょう。
コモンセンスとは?
一方で、コモンセンスとは何か?なぜ、コモンセンスは誰にでも書ける内容なのに、それでも自分で書く意味があるのでしょうか?
まずコモンセンスとは、長年語り継がれていて、もう既に常識となっていることを言います。
たとえば「他者との約束を守る」なんかは、まさにそうですよね。
あまりに、あたりまえすぎるお話です。
逆に、あたりまえすぎて、ゆっくりと考える必要さえないと思っていることだと思います。
でも、日常生活の中で少しでも油断してしまうと、すぐに疎かになってしまうことでもあります。
だからこそ、常に誰かが言い続けないといけないことだと思うのです。
参照:若者へ。静かに約束し、静かに守り続けるということ。 | 隠居系男子
大切なことの手段とアプローチは、時代によって変わり続ける。
また、その「あたりまえすぎるけど、大切なこと」というのは、時代ごとによって、その手段やアプローチというのは常に変化しうるものでもあります。
例えば、「誰かに連絡を取るときは、なるべくその人の迷惑とならないようにする」というマナーのような常識について書くとしましょう。
手紙の時代であれば、その手紙の書き方、電報の時代なら、その電報の打ち方について語られていたかもしれません。
そして今日に至るまで、ポケベルやメール、メッセンジャーなど時代の変遷によってその手段やアプローチの方法も移り変わってきました。
しかし、根底にある「人に迷惑をかけない」という大切なことは変わっていません。
それを確認していくためにも、各時代の各状況に置かれた人たちが、自分の経験を通じて他者に伝えていくというのは、とても意義のあることだと思うのです。
相手が異なることで、唯一無二の“体験”へと変化する。
さらに、コモンセンスの場合、誰がどんな文脈の中で言ったのかということも、受け手に対して与える影響が全く異なってきます。
たとえ同じような内容であったとしても、それを母親に言われるのと、先生に言われるのと、友人に言われるのと、好きな作家さんの本の中から自分で見つけてくるのとでは、全く違う腑の落ち方ですよね。
つまり、書き手にとっても、受け手にとっても、その相手によって唯一無二の“体験”へと変化していくんです。
だからこそ、「結局また同じ結論になってしまった…」とか「誰々さんの言っていることと、変わらない結論になってしまった…」とかいうことに悩んだり、恥じたりする必要は全くなくて、むしろそうなることが望ましいとさえ僕は思います。
最後に
大切なことは、実はそんなに多くはありません。
ただし、コモンセンスについて書いているうちに、それでもどうしても譲ることができないものということが、必ず自分の中に生まれてくると思います。
それは「今の社会通念的には確かに間違っているけれど、どうしてもこれだけは主張しておきたい!」と思えるようなものです。
そこには、尋常じゃない信念も含まれているでしょう。
各人が見つけたそんな小さな発見、それが時代を超えて他者の共感を呼び、後世にも語り継がれるようなものになる。
その時に初めて、それが新たな時代へのコモンセンスへと進化していくのではないでしょうか。
「人はこの世に生まれた以上、人類の進化と向上に貢献するべきだ」というのは僕にとって確信に近い命題なのですが、それを見つける方法というのは、まさにこれが一番遠回りのようで、一番近道のような気がするのです。
無闇に突拍子もないことや、斬新なことを提唱し続けるよりも、いつの時代も変わらない大切なものと常に真正面から向き合って、それでも譲れない何かが自分の中に信念として生まれてくる瞬間を待つ。
それがきっと、人生を賭けて他者へと伝えていくべきテーマになっていくのだと思います。
そうやって、皆でコモンセンスへと進化していくものを増やしていくことが、そのまま人類の進化と向上にへと繋がっていくのではないでしょうか。
そんなことを考える今日このごろです。
それでは今日はこの辺で。
ではではー!