どうも鳥井(@hirofumi21)です。
今日は、田坂広志著『知性を磨く~「スーパージェネラリスト」の時代』をご紹介しようと思います。
「なぜ、高学歴の人物が、深い知性を感じさせないのか?」という疑問文が帯に掲げられているこの本は、平成生まれ高学歴の人にこそ読んで欲しい本です。
「これは、自分のことじゃない!」と全面否定しながら読んで欲しい。しかし、9割の人はこのタイプなはずです。
「知性」の本質は、「知識」ではなく「智恵」
まずは、本書の肝を端的にご紹介してしまいます。
「知能」とは、「答えの有る問い」に対して、早く正しい答えを見出す能力。
「知性」とは、「答えの無い問い」に対して、その問いを、問い続ける能力。なぜなら、「知性」の本質は、「知識」ではなく、「智恵」だから。
では、「知識」とは何か?「智恵」とは何か?「知識」とは、「言葉で表せるもの」であり、「書物」から学べるものである。
「智恵」とは、「言葉で表せないもの」であり、「経験」からしか学べないものである。「これは書物で学んだ知識か、それとも、経験から掴んだ智恵か」を自問しながら語ることである。その二つのことを心がけるだけで、我々の「知性」は、確実に磨かれていく。
本書のキモはここだけです。このことについて心底腹落ちするために、新書1冊分読み込むという感じです。
僕らの世代はもう“知能”じゃないことは、わかっている。
きっと上記の文章を読んでみて、耳が痛いという人も多いのじゃないでしょうか。もちろん、自分もその一人です。
たぶん、僕らの世代はもう“知能”じゃないことは、わかっている。“知能”教育を受けつつ、“知性”の必要性を同時に感じながら生きてきた世代だから。
僕らは、ITやデバイスの進化と共に成長してきて、「ググればわかる」ということを体の芯から理解している世代です。
しかし、学校教育の中ではそれが一切許されなかったのも、僕らの世代です。
今でこそ、PCやネット環境を使った教育が小学校からなされていますが、僕らの時はほとんど使われていませんでした。
「これってググればいいんじゃないの?これってWordで提出すればいいんじゃないの?これってWikipediaからコピペでいいんじゃないの?」
いま大人になったからこそ、それがダメな理由もちゃんと理解できますが、今考えてもそれで良かった場合もたくさんあったのは事実です。
知能教育を受けてきた代償
しかし、そう感じながらも僕らが、その“知能教育”を黙って受け入れてきました。
学歴で判断されてしまう「就活」だったり、「先行き不透明な時代に必要なのは、学歴と知能だ!」と小さな頃から教えこまれてきたせいで、「これから必要なのは“知能”じゃない…。」と本心ではわかっていながらも、その狭間に立たされて、この教育を受け入れてきたのが僕らの世代なんです。
だからこそ、次の世代が「知性を磨く」教育を受けて育ってきた時、一番羨ましく思い、きっと一番嫉妬してしまうのが僕らなんでしょう。
なぜなら、それがわかっているから。そっちのほうが正しいと。
もしそうなってしまったら、僕らがいま「不快だなぁ」って思っている上の世代よりもさらに不快な大人になってしまう気がします。それぐらい嫉妬深い存在に成り得る可能性があるのが、僕らの世代なのではないでしょうか。
最後に
一生、知能にしがみついて終わる人と、この現実を受入て知性に鞍替えできる人。きっと、僕らの世代ではそれが見事に半々に分かれるでしょう。
自分が本当はどちらに進みたいのか、この本はそんなことを考える上で非常に有益な一冊となっています。
今回の記事の中では、あえて副題に書いてある「スーパージェネラリスト」という存在については触れませんでした。
知能よりも、知性が大切になる時代に求められる人材「スーパージェネラリスト」というのが、どんな存在なのか。
気になる方は、ぜひ本書を手にとってみて下さい。Kindle版もあります。
それでは今日はこのへんで!
ではではー!