先週末の鳥取県から引き続き、月曜日から火曜日にかけて福島県の昭和村に行ってきました。
今回で2度目になる昭和村。
今日は帰りの電車の中で考えていたことを少しだけ、備忘録的に書き残しておきたいと思います。
メディアが作り出したイメージ戦略によって錯覚していただけ。
どうしても僕らは、地域の伝統工芸品などをイメージする時に、極端な神聖化・神格化をしてしまいます。
「これぞ、職人!」というような。
テレビや雑誌の特集なんかでもそうですし、最近ではyoutube上でもそんなプロモーション動画もよく目にするようになりましたよね。
でも、実際に足を運んでみると、本当はそうじゃないんです。
最初はきっと拍子抜けしてしまう。
本当はもっともっとあたりまえの暮らしがそこにはあって、僕らと変わらない「人」がいて、その人には子供がいて、家族があって、コミュニティが形成されている。僕らと同じように日々冗談を言い合って、生きている。
そこでハッと気づくんです。「あっ、僕らはメディアが作り出したイメージ戦略によって錯覚いしていただけなんだ」と。
自分たちの暮らしを大切にした上で、その延長にあるプロフェッショナル。
でも、その気づきのあとに訪れるのは、むしろ安心感なんです。
暮らしと仕事がしっかりとつながって織りなすものって、きっと本当はこういうもの。
もちろん、暮らしを犠牲にした上でのプロフェッショナルもカッコいい。
トップアスリートや、一流のお医者さんや弁護士、大企業の経営者など。
でも一方で、自分たちの暮らしをちゃんと大切にした上で、その延長にあるプロフェッショナルも同じぐらいカッコいいと僕は思います。
そして自分たちの暮らしを大切にしているからこそ、これだけの長い年月の間、その土地で失われることなくずっと生き残ってきたんだとも思うのです。
最後に
僕は、できることなら何かを犠牲の上に成り立っているものではなく、暮らしを大切にした上で、しっかりと残っている伝統を応援したい。
最近流行りの言葉で言えば、「サステイナブル(持続可能な)」言葉で片付けられてしまうのかもしれませんが、この感覚はもうちょっと違う…。
まだまだ、自分の中でもうまく言語化できないので、もう少し深く考えてみたいと思います。
良い意味での「道楽」として仕事と暮らし。それを実現するためにはどうすればいいのか?
参照:「新しい休み方」から考える「新しい働き方」。 | 隠居系男子
きっとそこに大きなヒントがあるような気がしています。
皆さんにも何かしらの参考になれば幸いです。