ヘタなプロが上手い素人側に降りてくるまでが、ボーナスタイム。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

昨日書いた以下の記事。

参考:「上手い素人」と「ヘタなプロ」の違い。 | 隠居系男子

これって動画の分野だと更に顕著な話だと思っています。

昨年から今年にかけて、動画が大ブームですよね。都内でも、電車の中で平然と動画を見ている人たちがすごく増えてきました。

そして、昨今のこの動画ブームって、少し前のブログブームと非常に似ていると思います。

紙の本の方が圧倒的に優れているのは間違いないけれど、ブログのほうが読まれるのと同じように、ウェブ上に公開されている素人の動画のほうが生々しくてリアルだからついつい観てしまうという現象。

経済合理性を無視すれば、トコトン良い作品を作れてしまうのが動画。

昨日の話で言うと、動画を撮る上手い素人が、経済合理性を完全に無視すれば、トコトン突き詰めて良い作品を作ることができてしまいます。

それは、紙の本とブログという対立構造の比じゃない。

工数が掛かれば掛かるものほど、でも、マンパワーでどうにかなってしまうものほど、「上手な素人」の方が勝っていきます。

上手い素人が、経済合理性を無視して、熱意と根気、そして時間をガンガンつぎ込んで作ってしまったら、もうヘタなプロは勝てなくなってしまって当然です。

消費者側も映像美より、暇つぶし。

一方で、消費する側も「素晴らしい映像美を観たい!」って思って動画を消費している人たちはほとんどいません。

単に”暇つぶし”をしたいだけ。本当に素晴らしい映像美を観たいと思ったら、映画を観た方がいいですからね。(つまり、プロ中のプロの作品。)

むしろ、消費する側が動画を選ぶ理由としては、人柄とか、ストーリーとか、習慣とか、友人の紹介とか、その動画のクオリティ以外の部分が優先されているのが実情で、いま観られている動画の本質はそこにあります。

プロが素人側に降りてくる可能性。

この状況になってくると、結局残るのは、「プロ中のプロ」と「上手い素人」だけという状況になってくる。

あとは、プロが「上手い素人」側に降りてくるかどうか。僕らにとって一番嫌な展開はこれですよね。

プロの人達が、そのまま下手なプライドをこじらせて、従来の経済合理性にこだわり続けていてくれれば、とっても嬉しい話なんですが、「上手い素人」のやり方でもマネタイズできると気付いて、生き残る道はここしかないと考えれば、彼らが素人側に降りてくる可能性も十分にあり得ます。

最近、最終話を迎えた「山田孝之の東京都北区赤羽」とかもまさにそんな感じの作品でした。

「あーぁ、プロなのに降りてきちゃってるなぁ…」っていう印象で、とても興味深く観てしまった作品です。(基本、テレ東の番組はかなり素人側に降りてきている感がある。)

最後に

だからこそ、プロの人達が下手なプライドをこじらせている今がまさに、ボーナスタイムなのだと思います。

このタイミングを逃したら、もうチャンスはないと思った方がいい。「もう時間はないよ!」って本当に思います。今は、時代の変わり目だからこそ生まれる歪みのような時間帯。

ここでしっかりとチャンスを掴み取った人たちだけが今後生き残っていくのだろうなと…。

そんな風に考える今日このごろです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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