「上手い素人」と「ヘタなプロ」の違い。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近、とある打ち合わせの中で出てきた話で「インターネット上でウケるのは、上手い素人であって、ヘタなプロではダメなんだ。」というくだりがありました。

これがとても面白いなぁと思って、ここ数日ずっと考えていました。普段からこのブログで書いている内容にもとても近かったので、今日は自分なりに少し考えたことをまとめてみようと思います。

ポイントは「経済合理性」かなと。

「上手い素人」と、「ヘタなプロ」はどっちが上手い?

まず、「上手い素人」と「ヘタなプロ」どっちが技能的に上なのでしょう?

もちろん時と場合によると思いますが、たぶんヘタなプロの方が上手い素人よりも技能的には“上”なんです。曲がりなりにも、ヘタなプロはそれでゴハンを食べているわけですから。

でもネットでウケるのは、上手い素人の方なんです。(あとはプロ中のプロ。)

なぜ、上手い素人の方がウケるのか?

では、なぜヘタなプロよりも、さらにヘタなはずである「上手い素人」の方がウケるのでしょうか?

この点、ちきりんさんの新刊「マーケット感覚を身につけよう」の「プロ野球と甲子園の比較」の中でとてもわかりやすく解説されていたので、少し長くなりますが引用してみましょう。

価値の創造は、時には驚くほど大きな市場を創り出します。その一例が、春と夏に甲子園で行なわれる高校野球です。

中略

高校の部活の全国大会が、「高校野球」というスポーツエンターテイメントのコンテンツに変わることで、応援団や選手らが泊まる宿と交通費、球場で消費される膨大な飲食費、応援に使われるグッズの製造販売費用など、巨額の経済価値が生み出されました。 こんなことが起こったのは、誰かが高校野球の中に、プロ野球には見られない潜在的な価値を見いだしたからです。ではその価値とは、いったいどんな価値なのでしょう?

中略

皆さんは、高校野球が行なわれている期間にプロ野球の試合を見て、選手がダラダラしていると感じたことはないでしょうか? プロは「アウトだとわかっていても、ヘッドスライディングをする」みたいな無駄なことはしません。回が変わるたびに、全力疾走でポジションについたりもしません。そんなところで体力を消耗しても意味がないからです。

プロスポーツの市場で取引されているのは(=観客が求めているのは)、「思わず感嘆してしまうほど高いレベルの技や、手に汗握るパフォーマンス」という価値ですが、高校野球では「全力で戦ったにもかわらず、時の運で勝ったり負けたりする理不尽さや、技術レベルが低くても、気合いと根性でカバーしようとする若者たちの物語」が取引されています。つまりプロ野球と高校野球では、観客に提供されている価値が異なるのです。

経済合理性的に考えて、まったくもって理に適っていない行為。

つまり、結局のところ「上手い素人」ってなんなのかと言えば、プロの人たちが経済合理性的に考えて「そんなことできるわけがない!」って思ってしまうことを、楽しさが優先して惜しげもなくやっちゃうような人たちなんだと思います。

それは、経済合理性的に考えて、まったくもって理に適っていないということ。

でも、そこに生まれる物語も含めて「上手い素人」が全身全霊でやってのけてしまうそのこと自体が、一部の人達にとってとても魅力的に映ってしまうのです。

そして、インターネットの革命的なところは、そんな人達にもしっかりと発信する場を与え、受け取る側にもそれを受け取る自由を与えたこと。

そして、それらが好きな人間同士が集まってコミュニティを作っていくための場さえも与えてくれたことです。

これこそが、まさにインターネットの革命的な部分だったのでしょう。

最後に

「上手い素人」としてどのように立ち振る舞うべきなのか。そこに生まれるストーリーも含めて新しい価値の創造を受け入れてもらって、支持してもらえるようになるためにはどうすればよいのか?

やっぱりそのためには、ひたすら「粘る」しかないのだと思います。

新しい価値の創造は時間のかかることです。それが経済合理性に背く行為なのだから当然です。でも今インターネットで成功している方々の共通点はまさにここ。

もしこんな非効率な部分に魅力を感じてしまったのなら、あとはそれを信じてやるしかない。

そんなことを考える今日のごろです。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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