自国の文化を深堀りした分だけ、他国の文化を理解できるようになる。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

これは常々色々なところでお話しているのですが、僕は自国の文化の深堀りをした分だけ、他国の文化を理解できるようになるものだと思っています。

「縦に深く掘った分だけ、横にも広げていくことができる。」

ここでいう縦が自国の文化で、横が他国の文化です。だからこそ、縦の深さをドンドン伸ばしていかないと、横の広さも広がっていかないと思うんですよね。

似たような話は過去にも何度か書いたことがあります。

参考:真のグローバル化とは、徹底的に日本の原風景を理解すること。 | 隠居系男子

「衣食住」に帰結していく。

しかも最近よく思うのは、世界に共通するテーマ、各民族に共通するテーマって実はそんなに多くはないのかもしれないなということ。

つまるところ、「衣食住」に帰結していくみたいなところがある。だから、自国の衣食住の文化の理解を深めて、その原理原則がわかるようになれば、世界はもっと面白くなるんだと思います。

「何にこだわってつくられていて、何がコツで、何がツボで、何がカギで、何がミソなのか」みたいな話。それさえわかれば、あとはその前提条件や素材など、細かい要素が各文化ごとに異なるだけで、大枠は変わらないはずです。

自分の中に「ものさし」を持っているかどうか。

例えば、お酒なんかが特徴的。

日本酒の文化がわかるようになれば、フランスのワイン文化が分かるようになるかもしれないですし、中国の紹興酒文化も分かるようになるかもしれない。

大切なのは、「同じところ」と「違うところ」がわかるようになること。

参照:2じゃなくて3で比較する。 | 隠居系男子

つまり、他国の文化と出会った時に、自分の中にしっかりと比較対象物を持っているかどうかだと思うのです。言い換えると、自分の中にその文化を理解するための「ものさし」を持っているかどうか。

そして、その「ものさし」で測れる長さはどこまでなのか。結局は自分が持っている「ものさし」の長さでしか世の中は測れないですからね。その「ものさし」自体を長くする、それが自国の文化を深ぼるという意味だと思うのです。

自分の中の「ものさし」があまりにも短すぎたという挫折感。

20代前半で世界に出て、色々なものを見てきた自分が思ったのは、もう手垢のつきまくりな言葉なのであまりこういう表現で書きたくはないのですが、自分は日本のことを全く知らないということ。

今の自分が持っている「ものさし」で測れるのはここまでなんだという現実に直面し、それがあまりにも短すぎるという挫折感を味わいました。

だからこそ、もう一度日本の文化を学ぼうと思い、日本を深く知ることができるウェブメディアを立ち上ようと決意し「MATCHA」や「灯台もと暮らし」を始めたんです。

最後に

世の中の仕組みというのは、思いのほか繋がっている。

その繋がりを見つけることができるぐらい広い視野を持ち、自分の中の「ものさし」で正しく計測できるかどうか。

物事への理解というのはそうやって深まっていくものだと思いますし、それを続けてきた結果、“物事の本質”と呼ばれるところに辿り着くことができるのだと思います。

そんなことを漠然と考える今日このごろ。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

スポンサードリンク