どうも鳥井です。
今朝、以下のようなツイートをしました。
いま「ほぼ日手帳」が中国で伸びてるんです。その背景について、とても興味深い解説。… https://t.co/nsXTYNLLJl
— makiko shinoda 篠田真貴子 (@hoshina_shinoda) 2016年10月5日
最近は本当にセンスの良い中国人の若い子が増えてきたもんなあ。浅草界隈でも、近づいて話し声が聞こえてくるまで日本人と全く見分けがつかないっていう子も多い。しかも、台湾系じゃなくて大陸系の雰囲気の人までそうなってきていることに驚き。3年前では考えられなかったことだよね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年10月5日
きっとスマホの普及が一番大きい要因なんだろうなあ。上の世代が作った嘘を観るのではなくて、若い子たちが若い子たちのためにSNS上に自分たちのメディアを作り、それを真剣に運営している。もしかしたら「暮しの手帖」の成り立ちを今一番体現しているのは、中国の若者たちなのかもしれないね。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2016年10月5日
「自分たちの手に取り戻そう」という感覚。
最近よく、「自分たちの手に取り戻そう」という表現を用いることが多いです。
先日行われた、オンラインサロン「僕らの理想のデニムってなんだろう?」の大討論会でも、集まってくださった皆さんの前で「いま、僕たちがこのものづくりを通して、何を自分たちの手に取り戻したいのか?」というお話をさせてもらいました。
人が何か自分たちの手に取り戻そうとするとき、良くも悪くも、そこに凄まじい力が生まれます。
そのコンセプトが明確であればあるほど、多くの人を巻き込むことができて、その威力もドンドン勢いを増していきます。
最近の地方移住ブームなんかもまさにそう。
「国破れて山河あり。」と言いますが、その山河の中で、いま自分たちの生活を取り戻そうとしているからこそ、これだけ大きなムーブメントになりつつある。
また、改めて言う必要もないかもしれませんが、マスメディアからのウェブメディア、個人の情報発信力を高めていこうというムーブメントだって、もちろんこの文脈です。
取り戻そうとする「対象物」は、自分たちが以前体験したことでもいいし、もっと視野を広げて、自分たちはまだ体験したことはないけれど、歴史上自分たち(民衆)の手から離れていったものでもいい。
本来、自分たちの手でコントロールできていたはずのものが、いつの間にかアンコントローラブルになってしまったのであれば、なんでもこの範疇に含まれてくるはずです。
「自分たちは、一体何を取り戻したいと思っているのか?」を考えてみる。
何か新しいことを始める時に、「いま自分たちは、一体何を取り戻したいと思ってやっているのか?」それを軸に考えを深めてみると、新しいアイディアやおもしろいコンセプトなどが生まれてくるはずですよ。
まだまだ自分の中でもフワッとした感覚で、うまく表現することはできませんが、このタイミングで書き残しておきたいことだったので今日書いてみました。
皆さんの何かしらの参考になれば幸いです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!