マイルドヤンキーと一緒に”自国の文化”を掘り下げていくことの重要性。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

突然ですが、東京にいるとどうしても「強者の論理」になってしまいがちです。

「日本人とは」という話をし始めると、それこそ都内で働いている高所得インテリ層に目を向けてしまいがち。すぐに「彼らにウケるためにはどうすればいいのか。」という話が繰り広げられてしまいます。

でもそうじゃない。そこにいつもとてつもない違和感を感じてしまいます。本当にいま日本が自分たちの価値を再認識しなくてはいけないタイミングに来ているのであれば、地方にいる人々にこそ、日本の面白さを理解してもらわないといけない。

僕らの様な若い世代であれば、地方にいるマイルドヤンキーと呼ばれるような人たちに理解してもらえるように発信していかなければいけないわけです。

飲み会などでどれだけ日本について盛り上がったとしても「この界隈だけで盛り上がっているだけじゃダメなんだよなぁー」ってどこか冷めて眺めてしまう自分がいます。

田舎育ちなので、田舎にいる友人たちの顔がリアルに思い浮かび、彼らに理解してもらうためにはどうすればいいのだろうか?彼らを巻き込めななければ、そこに何の意味もないだろうと…。

そんなことをここ1年ぐらいずっとグダグダ考えていたら、いつもこのブログで紹介している「内田樹&名越康文の 辺境ラジオ」という番組で「まさしく!」と膝を打つような話が展開されていたので、今日はそんなお話をご紹介してみようと思います。

「辺境ラジオ」とはどんな番組なのかはこちら。
参照:本当にオススメのPodcast番組!【学び編】 | 隠居系男子

今の若い世代には透明感のある“いいひと”が増えている。 | 隠居系男子

マイルドヤンキーと呼ばれる人々の問題性とは?

「マイルドヤンキーの問題性は、自分はもう知っていると考えているところにある。」とお三方は語ります。

最新の映画を見て「ありのままの〜」っていうグローバルスタンダードを追っているだけでいいと思っている。ある作品の中にある「絶対にウケる」という感覚さえ追っていればいいと思ってしまっている。その中だけで生きていると、世界がわかった気になってしまうし、他人もわかった気になってしまうのだと。

しかし、伝統文化に触れることでそうじゃないと気が付くことができるはず。なぜなら伝統文化の中には異質なものがいっぱい入り込んでいるからだと。

画面を通して観るだけでは絶対に理解できないようなことが、実際はあの空間・空気の響きの中で起きている。それを感じとることにこそ、意味があるのだと。

新しい感覚や、新しい違和感を自分のモノとして吸収していく力が彼らに備わって、伝統文化の中に存在するとてつもない創造性を理解してもらえたら、彼らは完璧になる。そこがちょっと欠けてしまっているから、どうやって理解してもらっていくのかがこれから重要になってくるのだと仰っていました。このあたりのお話は完全に同意です。

その感じ方は、十人十色。

文楽や能などという日本の伝統芸能は、それを観に行った者同士で話をしていても一人ずつ全く違う感想を持つものだと、お三方は語ります。

「踊りが良かった、雰囲気が良かった、歌が良かった、おべべがよかった…」などなど。「伝統文化は、感覚という意味ではものすごくアバンギャルドであって、感覚というものを開発する上では、実は最先端なもの。」と名越さんは仰っていました。

伝統文化を大切にしなくてはいけない理由は、まさにここにあるのだと思います。自分も最近文楽を観に行ってきたのですが、正しく同じようなことを実感しました。一人ひとり違う感覚を持てるところが素晴らしい。

だからこそマイルドヤンキー的な人々に、伝統文化としてのアバンギャルドな部分も楽しんでもらうためにはどうすればいいのか、そう考えてしまうわけです。

彼らのような日本のボリュームゾーンに理解してもらえなければ、本当の意味で日本の伝統文化は残っていかないでしょうし、本当の意味で受け継がれてはいかないはずです。

日本各地の伝統行事に、解決の糸口あり?

しかし田舎へ行くと、伝統芸能に触れる機会がないというのも事実です。そもそも彼ら自身、それに全く触れようとも思っていません。

実際、伝統文化に触れる機会がなくても彼らは何の不自由もしませんし、グローバルスタンダードに触れることの方が幸せだと思い込んでしまっているからです。

ただ、本当は地方のマイルドヤンキー的な人たちにも、その片鱗に触れている機会は存在するはずなんです。お三方も仰っていましたが、地域ごとにやっているお祭りなどの年中行事なんかがまさにそう。

先祖代々引き継いできて、彼らも楽しみながらやっているということは、どこかその感覚を開くための窓はあるはずなんだと。他にも食文化や宗教、儀礼などもまだ辛うじて日本の地方ごとに残っています。

“何か”をきっかけにしてそこの感覚に目覚めてくれれば、きっと小さな変化は現れてくるはずです。「自分たちがやっているお祭りって、毎年ただ漠然とやってきたけれど、実はこれって何なの?」と。

そこでグッと踏み込んでもらって、日本文化の古層に一回足をツッコんでしまえば、皆深みにはまっていくはずであると。

最後に

「一歩間違えれば、”田舎者は了見が狭い”と批判していることにもなりかねない。」とお三方は危惧していましたが、本当にそう思います。この問題はそうゆう意味でもとてもセンシティブな問題です。

ただ、日本の文化をしっかりと伝え残していくためにも、そんなマイルドヤンキー的な人々にとってきっかけとなる“何か”を考えるためにも、こうゆう議論は若い世代の中でも活発に行っていくべきだと思っています。

海外へ行き見聞を広めることももちろん大切ですが、自国の文化を縦に深く掘り下げていくことも同じぐらい大切です。

自分自身も、最近は縦に深めたい欲の方が圧倒的に強いです。縦を深くしてまた海外へ行けば、その「縦の深さ」の分「横の広がり」を得られる。逆に言うと、自国の深さを理解できていなければ、どれだけ海外で生活してみても、その浅さの中でしか横の広がりはないのだと思います。

自国の文化を掘り下げては、海外へ行ってその横の幅を広げ、また自国で掘り下げては、横の幅を広げていくという連綿とした繰り返しこそが一番重要なのだろうなと思う今日このごろです。

なにはともあれ、今回の「辺境ラジオ」も必聴だと思います。気になる方はぜひ聴いてみてください。

【2014年9月28日 放送分】MBSラジオ1179ポッドキャスト | 内田樹&名越康文の 辺境ラジオ

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

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