最近よく考えるのですが、本当に労働の対価として報酬を支払わなければいけないのか、と。
もちろん、無給で働いてもらうというわけじゃないですよ。
その逆で、一切ノルマを設けないで報酬を支払ってみるのもありではないか、と思うのです。
だから、ノルマというものを徹底的に排除してみようと思っています。
何をするかは本人の自由。
具体的には、反対給付義務がない労働契約といいますか。
それはただの贈与だろ!と言われればその通りなんですけど、あくまで報酬として手渡すわけだから、本人に対してこれは「報酬」であるという旨と、どんなことをしてくれたら嬉しいかは明確に伝えます。
その上で、何をするかは本人の自由。もちろん、何もしなくてもいい。
「期待」を一切排除してみる。
「反対給付義務がないのに、人にお金渡すってどういうこと!?」って思う方もいるかもしれません。
でも、他者には意味がわからないことであっても、自分にとっては「間違いなくこの方向性だ!」と思っているので、そう思うのであればドンドン実現していきたいなと思っています。
思うに、反対給付義務をキッチリと履行してくれるという「期待」があるから、雇用主と従業員の間に、イライラやモヤモヤが発生してしまうと思うんです。
だったら、その「期待」を一切排除してみればいい。
そもそも、そんな「結果」のために自分は報酬を支払っているのか、と。
否。そんなことはありません。
期待があろうがなかろうが、払いたい相手だから払っているわけです。
逆に、どれだけ反対給付をキッチリと履行してくれる人であっても、払いたくない人には払いたくありません。
最後に
「組織の構成メンバーに公正な分配をしつつ、組織自体としては高い生産性を実現する、ハイブリッドな経営とは何か。」
下記のブログをきっかけに、この一年間ずっと考えてきました。
参照:生産性向上・副業OK・パラレルキャリア前提の社会は、雇用される側にとって残酷な社会となってしまうのか? | 隠居系男子
「小さな経済圏」など、いろいろと実現したらおもしろそうだろうなあと思う世の中の在り方についても、徐々にわかり始めてきました。
さらに、そんな世界が実現していきそうな機運が、今の世の中には間違いなく存在しています。
だったら、あとは自分たちの手でそんな「小さな現実をつくり出すこと」だけだなと。
ということで、今の僕にできることを着実に実行しつつ、自分たちが欲する世の中の実現へ向けて少しずつ実験しながら動いてみたいと思います。