矢面に立つ勇気。

僕が普段から親しくしているお二人が、こんなブログを書いていた。

ゆるふわなんかもうやめだ。丨天井裏書房

2016年はアクティブに活動していく予定です。 – My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only

今日は、矢面に立つ勇気について、少しだけ自分の思うところについて書いてみようと思う。

矢面に立つ勇気がない人々。

去年は、「オリンピックエンブレム問題」をはじめ、ネット上で足を引っ張り合うことが広く一般的に“普及した”年だったと思う。

今までネットの世論でしかなかったものが、「ネット」が消えて完全に「世論」になったということなのだろう。

そんな世界で、自分が前に出たら損をする。そこで得られる小さな得なんか比べものにならないぐらいの損をする。賢い人達はみんなそれを知っている。

あと一歩でムーブメントになるかもしれないという動きにも関わらず、「ほら、あなた達の番ですよ!」とマイクを渡されても、「いやいやいや、自分たちは…」と言いながら、賢い人たちが矢面に立つことを避けるシーンを去年何度も見てきた。しかも賢いが故に、自分たちが刈り取れる部分だけはしっかりと刈り取って、早々と退散していく姿を。

清濁併せ呑んで、矢面に立てる人。

「ほら、いったことか!」と批評(批判)したくてたまらない人たちが、まだかだかと首を長くして待っている。少しでもミスをすれば、ハイエナのように群がってきて、鬼の首を取ったかのごとく血祭りにあげていく。

それでも業界のために、自分たちに続く後継者のためにと、そのムーブメントを背負って立てる人というのはカッコいい。良いところも悪いところも清濁併せ呑んで、自分が矢面に立とうと決意している人々。

そして、今年はそんな決意をする人たちが増える気がしている。もちろん今noteを必死で啓蒙しているはあちゅうさんとイケダハヤトさんもそう。

そういえば、去年の年末にヒラクさんと談笑していた時「今年、ぷっつんしたんだよね」と笑いながら言っていた。ヒラクさんは大学の研究室で菌が発酵する姿を顕微鏡で眺めていた時に、突然“ぷっつん”したらしい。

その“ぷっつん”には色々な意味が込められていると思うけれど、下記のめちゃくちゃバズった記事も、そのぷっつんから生まれたものだと思う。

朝日新聞の仕事の依頼が、あまりにも専門家を軽んじていた件について | hirakuogura.com

ヒラクさんの言う“ぷっつん”は、自己の目先の利益ではなく、「発酵のために自分が矢面に立とうと決心した」ということなんだろうなと、それを聞きながら思った。

最後に

決して自己の利益のためだけではない、自分以外の守るべきもののために、そのムーブメントを背負って立つ勇気をもつ、覚悟を決めること。

長期的な目線を持ち続け、それに従って何事にも取り組める、その視座の高さ。いや、結局のところ最後は意地とプライドになるのかもしれない。

しかし、そんな姿に人は心打たれる。

残酷なことや悲惨なことが目立つ世の中だけど、矢面に立つ勇気がある人にとんでもなくチャンスの多い時代であり、この時代に、事を成せる人というのは、きっとそんな人だと思う。

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