あえて「あざとさ」を消すということ。

人気よりも信頼の方が重要になってきている今、あえて「あざとさ」を消すことってものすごく重要になってきているなあと感じています。

「こうすればもっと跳ねる!」ってわかっている時にこそ、ぐっと堪える勇気というか。

あざとさは、人気時代には功を奏しても、信頼時代には仇となる。

あざとさや人気を優先する人に、自分の大切な何か(主に時間とお金)を預けたいとは思わないですもんね。

絶対に振り落とされることはないという安心感。

たとえば、乗り物なんかに喩えてみると、人気時代に乗りたいのはジェットコースター。

常に興奮を与えて欲しい時には、「あざとさ」が含まれているものってものすごく魅力的に見えるのです。

でも人気争いが過当競争となり、完全に飽和状態になってきている昨今。

こんな時代に乗りたいのは新幹線のグランクラスみたいな乗り物だと思います。

完全に身を委ねても大丈夫。絶対に振り落とされることはないという安心感の方が大切なのかなと。

あざとさと狂気は似て非なるもの。

「おまえがよく言っている『狂気』は、あざとさに含まれないのか?」

そう思っている方もいるかもしれません。

僕は、あざとさと狂気は似て非なるものだと思っています。

あざとさは、意図的に付け加えたもの。

狂気は、自然と溢れ出てきてしまうもの。

参照:偏愛という狂気を晒せる場所が今求められている。 | 隠居系男子

つまるところ、自分自身が自信をもって提示できるモノを徹底的に作りだすことが一番なのだろうなあと。

こんな時代だからこそ、美意識を高めていくことの方に全力を注ぎたいと思います。

参照:購入する決め手が「美意識」に変化する中で、人の美意識はどのようにすれば育まれるのか? | 隠居系男子

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