アガるものだけに囲まれろ。

昨夜、柿次郎さんがとっても良いツイートをしていました。


「必要/不必要」で判断して、アガるかどうかの感情は見て見ぬふりをするものだと思っていた。

どうしても僕らは、アガらないとわかっていても「必要」だと思うものを身の回りに揃えておきがち…。

それはきっと、アガらなくても「必要だから」という理由で我慢する大人の姿をたくさん見てきたからなのでしょう。

なんとなく自分もそうやって、「必要/不必要」で判断してアガるかどうかの感情は見て見ぬふりをするものだと思っていた。

でもそれは、もうたぶん違うんですよね。

「あれば着る」という魔法の言葉。

例えば、「あれば着る」という考え方。

クローゼットに大量にしまい込んでいる洋服を捨てずにいる時に、とっても便利な言葉です。

確かに、本当にまた「着る」タイミングはやってくるかもしれません。

しかし、心の底から「着たい!」と思えるタイミングはまずやってこない。

そして、これはきっとモノがない時代の考え方です。

おばあちゃんがモノを捨てられない気持ちは、とてもよくわかる。

おばあちゃんが生きてきた時代背景の中で、そんなライフスタイルを身に着けないほうが逆におかしいと思います。

だから、それはそれでしっかりと理解を示しつつ、ものが溢れる時代にはやっぱり「あれば着る」や「あれば使う」という感覚ではなく、「これが着たい!」や「これを使いたい!」という感覚にアップデートしていかなきゃいけない。

身につける「能力」もアガるかどうかで判断する。

で、これは決してモノだけじゃないよなあと。

身につける「能力」も一緒です。

たとえば、「TOEIC」や簿記に代表される資格試験。

「あれば役立つ」能力です。それは間違いない。

だから多くの人が必死で取ろうと努力する。

「でも、なかなか仕事が忙しくて勉強している暇がないんだ…!」と、絶望している社会人の方も多いのではないでしょうか。

それはきっと仕事が忙しいんじゃなくて、仕事を終えた後にでも取り組みたいと思えるほど好きなものじゃないからなんだろうなと、最近よく思うんです。

だって、好きじゃないものを仕事が終わったのヘトヘトのタイミングで、取り組めるわけないじゃないですか。

「仕事が忙しくて、恋人と合う時間がない」という、あの言い訳と同じこと。

本当に好きな相手であったら、どれだけ忙しくても時間をつくってしまうもの。

時間をつくらないのは、相手にそれほどの魅力を感じていないからか、自分が納得できていないから。それと一緒なんだと思います。

全力で好きなことに取り組んでいる人に、居場所が与えられる。

「でもそうは言ったって、資格を取らないとまわりから取り残されてしまうじゃないか!」という反論も聞こえてきそうです。

確かに、そうかもしれません。

みんなが、そうやって競争する時代を勝ち抜いていくためには、そのやり方が最適解だったんだと思います。

でも、いまはもう完全に時代が変わってしまいました。

これからの新しい仕事は、相対的にどれだけ秀でているのではなく、どれだけ全力で自分が好きなことに没頭できているか。

昨夜の『プロフェッショナル仕事の流儀 新しい仕事スペシャル』を観ていても、それを強く感じました。(このブログをいつも読んでいる方には、観てみることを強くオススメします。)

「競争」から「共創」に変わってきているこのタイミングで、本当に求められる人材は、全力で好きなことに取り組んでいる人。

逆接的ですが、そんな人にこそ居場所が自然と与えられるのが、今の世の中なんではないでしょうか。

最後に

自分がイヤイヤ取り組んでいるうちに、本当に好きなことを見つけた人は気が狂ったように打ち込んでいて、その差はドンドン開いていくばかり。

3〜5年後さらにその差が広がって、絶望しているあなたを助けられるのは、今のあなただけです。

やるなと言われてもついついやってしまうこと。それを全力で取りに行く。妥協なんて一切しない。まわりの目なんて気にしない。

それが今の時代にあった生き方なのだと思います。

モノもヒトもコトも能力も、自分に触れるもの全部、です。

参照:次世代を生きる若者が、好きなモノに囲まれた人生を送るための唯一の方法。|鳥井弘文|note

「自分に大切なことを知り、必要なモノを持てることが豊かさだ。」

やっと僕も、この言葉の本当の意味が理解できるようになりました。

参照:自分に大切なことを知り、必要なモノを持てることが豊かさだ。 | 隠居系男子

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