昨日、こんなツイートをしてみました。
最近よく思うのだけれど、一昔前に比べて、巷で話題の飲食物ってどれもすべからく”過剰に”美味しすぎる気がしていて。昔は当たり外れも多かったけれど、今はどれも過剰に美味しい。例えるならドンドン品種改良されて、やたら大きて甘いイチゴみたいな印象。一口目の驚きに、命をかけているような感じ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年7月2日
実際、過剰に美味しいわけだからドンドン話題になり、人気になっていくんだけど、最後まで食べると胸焼けしたり、食べ続けると中毒のような感覚になったりして、なんだかその過剰さが健やかじゃない気がしていて…。これは食に限らず、今はあらゆるモノがそういう過剰な満足度を提供してくるから怖い。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年7月2日
だから最近は「あれ…?」とか「えっ…?これが?」みたいな一口目ではすぐにはわからない味で、こっちが探しにいかないとわからない"探す余白”みたいなものがある食べ物のほうが好き。その探す余白を埋める作業が一番楽しいし、「あー、なるほど!そういうことか!」っていう気づきが一番満足感ある。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2019年7月2日
“探す余白”があるものは、集合知では見つけにくい。
でも、こういう食べ物って探すのが難しいんですよね。
なぜなら、誰が食べてもわかりやすく美味しいというわけではないから。
その余白を自ら埋めて、味の向こう側に辿り着こうとするひともいれば、「なんだ、あんまり美味しくないじゃないか」と見切りをつけてしまうひともいる。
その評価は、両極端になりがちです。
だから、「集合知」の力によって探そうとするのは難しい。
以前もこのブログに書いたことがある「センスや美意識」の話にも近いと思います。
参照:その人のセンスや美意識によって選ばれていく時代。 | 隠居系男子
価値観が近いひとを見つけて、その人のオススメに行ってみる。
それよりも、自分と価値観が近いひとを見つけて、そのひとがオススメするお店に行ってみる。
そうすると、食べログの評価が3.0ぐらいのお店でも、めちゃくちゃ良い店だったりするんですよね。
ちなみに僕が絶大なる信頼を寄せているのは、料理家の山口祐加さんや、文筆家の木村衣有子さん。
特に、山口さんは、ご自身の有料note「たらふく通信」で良いお店をたくさん紹介してくれているので、このブログをいつも読んでくれている方々は一読の価値はあると思います。
最後に
そして、この話ってライフスタイル全般においても同様のことが言えると思っていて。
「イケウチな人たち。」で僕が実現していきたい世界観も全く同じことなんです。
参照:僕が「イケウチな人たち。」で大切にしたいと思っていること。 | 隠居系男子
そうやって、大切にしたい価値観を共有できるモノやヒトに出会えることも、自分の人生を豊かにするうえで、とっても大切なことのような気がします。
そのためには、テレビや雑誌、ネットなどのメディアを横断し続けるだけではなく、自分の方から発信して見つけてもらいやすいようにするのも大事だなと。「情報の交差点」を自ら創り出すこと。
参照:大切なのは、そこに集まっている「ひと」。 | 隠居系男子
いつもこのブログを読んでくれている方々にとっても、今日のお話が何かしらの参考になったら幸いです。