ブログを書いて読まれないことがあるというのは、とても幸福なことだと思う。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

題名が非常に負け惜しみっぽいですが、最近本当にこれをよく思います。

「ブログを書いても読まれない記事がある。それがとてつもなく大きな学びに繋がっている」と。今日はそんなことを少し書いてみようと思います。

ブログのフェーズには、3段階ある。

ブログのフェーズには、大きく分けて以下の3段階があると思っています。

①何を書いても、誰にも読まれない。

②読まれるものを書いたら、読まれる。

③何を書いても、必ず読まれる。

①は完全に個人のブログ。1日のアクセスが100PVぐらいまでのレベルです。②は、このブログぐらいのレベル。知っている人は知っているし、知らない人は全く知らないブログです。

③は、イケダハヤトさんとかちきりんさんとか、いわゆる著名ブロガーさんたちですね。ネットに精通している人であれば誰もが知っているブログというのがこのレベルです。

経営者ブロガーで言えば、けんすうさんとか藤田晋さんあたり。一定の読者がいて、盲信している読者も多いので、何を書いても「◯◯さんが言ったから」という理由で必ず読まれて、ドンドン拡散されていくタイプです。

社会的な気運を上手く表現できなければ、総スカン。

僕のブログは、③には到底及ばないレベルで、世の中的にニーズがある記事を書かなければ、全く読まれません。社会的な気運を上手く表現できなければ、総スカンを喰らってしまいます。

でも、その状況にいられていることが、とても幸福なことだなと。

何度も書いてきているように、個人でも企業でもメディアを運営している以上は、取り上げる対象物は半歩先を行っていないといけません。早すぎても駄目だし、遅すぎてもダメ。あくまで半歩先が理想的です。

参照:上り調子にいる人たちの共通点とは? | 隠居系男子

つまり、世の中の流れを読む力が必要になってくる。達観しすぎていてもダメだし、時代遅れでもいけない。その丁度いいバランスを常に保ちつつ、半歩先を読んでいく力が必要なわけです。

そういう意味で「今日書いた記事が全く共感を呼ばない」というのは、それだけで僕にとってはとてつもなく大きな学びになるのです。

早すぎたとか、遅すぎたとか、そもそもこの考え自体が間違っていたとか、全ての場合で検証できます。

更に、このブログの場合は転載もされています。転載に関しては、転載先の編集方針によるところなので、僕自身もどの記事が転載されるのかはわかりません。そして、記事の題名自体も各媒体に合わせて変更されて配信されます。

つまり、僕がブログを書いた場合、「自分のブログで読まれる・読まれない、転載される・されない、転載された先で読まれる・読まれない」というパターンがあり、その理由を検証できるというわけです。

もちろん、バズれば嬉しいですが、自分の中で確固たる自信があって全く読まれないのも逆に嬉しいです。

また、バズって嬉しくない時というのもあります。きっとこういう内容がウケるのだろうなぁと思いつつ、半分実験する気持ちでそちらに寄せて書いてみると、思惑通り広がっていくというのも、なんだか虚しくなってしまう時があったりもします。

最後に

世の中と自分の感覚的なズレを毎日調整できる、その感覚を掴む上でも、このブログは僕にとって欠かせないツールとなっている。

そして、このブログがいつからそうなったのかといえば、やっぱりこの電子書籍を共著で出版させてもらったタイミングぐらいからでしょうか。

この電子書籍内で僕が担当した章で書いたことを、自分なりに実践してきて、ここまで辿り着いてきた感はしています。

気になる方はぜひ読んでみてください。

参照:ブロガー共著「レールの外ってこんな景色 若手ブロガーから見える新しい生き方」が完成しました。 | 隠居系男子

定価750円のところ、昨日から期間限定セールで100円になっています。この機会をぜひお見逃しなく。

それでは今日はこのへんで。

ではではー!

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