無意識の同調意識はどこから生まれてくるのか。

どうも鳥井(@hirofumi21)です。

最近、ウェブメディアの制作に携わりながら考えるのは、やっぱりその媒体の“らしさ”について。

1人で運営しているブログとは違い、ひとつの媒体に大勢の人間が集まって何かを表現する場合、その媒体“らしさ”と言うのは一体どこから生まれてくるのでしょうか?マニュアルのように明文化されたルールがないの中でも、複数の発信者が同じような“らしさ”を保ちながら、表現している媒体というのは確実に存在します。

この「無意識の同調」について、今日は少し考えてみようかなと思います。

その媒体“らしさ”は3パターンにわかれる。

僕は、1つの媒体で多数の人間が発信する場合、大きく分けて3つのパターンに分類されると思っています。

まず一つ目は、新聞やテレビ番組のようにマニュアルでガチガチに縛られているパターン。

横並び報道と言われるように「リスクを犯したくない」がゆえの暗黙のルールも多数存在し、皆がそれに「従わなければならない」と思っているようなタイプ。「自粛」という言葉もそれをうまく表現しているかなと。

2つ目は、トップが絶大なる権限を持っているタイプ。

カルチャー系の雑誌によくあるパターンもこれで、トップの編集長の力量がそのままその媒体に反映されているのだろうなと感じられるもの。編集長が変われば一気にガラッと雰囲気が変わりやすいのもこのタイプです。

ウェブ媒体で言うと「ほぼ日」なんかもここに分類されるのかもしれません。糸井重里さんという人柄が、あの媒体に思いっきり反映されているのは誰が見ても明らかです。最近ではcakesもそれに近い印象を受けます。

求心力の強い人間がトップにいて、周りの人間もその人のようになっていく、それこそ半分ゴーストライター的な感じともいえるでしょうか。

そして、最後の3つ目目は、皆が無意識的に同調して書いているパターンです。

例えば、「2ちゃんねる」や「ニコニコ動画」なんかを想像してもらえばわかりやすいかもしれませんが、誰に強制されるわけでもなく、みなが率先して同じような書き方をしているパターン。

しかも、意識的にそう書いているというよりは、気がつけばその書き方をしていて、しかも一番ストレス無く伸び伸び発信できているという状態になっています。

はてなの匿名ダイアリー

3つ目の具体例として、はてなの「はてな匿名ダイアリー」なんかもそれに当てはまるように思います。

誰も具体的な方針は決めていないはずなのに、いわゆる「増田」と呼ばれる人たちが、同じ(ような)人にみえるという。

そして、それは「現代人」そのもの。ブラック企業に悩み、将来に悩み、自身がコミュ障であると感じていながらも、日常はきっと卒なくこなしていて、漠然とした毎日を淡々と過ごしているような人々。

もし、この「匿名ダイアリー」ができる前に、全く同じような環境を用意して、結果的にここに辿り着くようなマニュアルを運営側で用意していたら、絶対に今存在するような「匿名ダイアリー」にはなかったでしょう。

自然発生的に生まれ育ってきているからこそ、トップ不在なのにもかかわらず、これだけの求心力が生まれているのだと。

最後に

他にも最近であれば、NAVER まとめmery、ガジェット系のブロガーなんかも同じように「無意識の同調」が生まれているように感じます。

全く同じ人間がコンテンツを量産しているんじゃないかと、錯覚してしまうほどの“◯◯らしさ”とは一体どこから生まれてくるのか。

きっと「流行」に近いものであるようにも感じますが、やはりソレとは似て非なるもの。

どちらかというと、『攻殻機動隊』の“笑い男”にも近いような話なのかなと。

うーん、考えれば考えるほど、難しい。

今後もこういった話は、自分の中での気付きが深る度に、このブログで書いていければいいかなと思っています。ゆるーく期待していてください。

それでは今日はこのへんで!

ではではー!

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