今回も昨日に引き続き、久しぶりに函館蔦屋書店さんに訪れて気が付いたことを少しだけ。
函館にそんな“洒落た空間”が成立するわけがない。
突然なんですが、函館のひとって、とってもシャイなんです。
函館蔦屋書店さんが推奨するような「本棚から1冊本をえらんできて、スターバックスのコーヒーを片手に、暖炉の前で本を読む。」なんてこと、恥しくてできるようなタイプではない。
人間関係も狭いから、「そんな姿を誰か知り合いにでも見られたら、どうしよう…」と不安になってしまう。
だから、函館蔦屋書店さんが完成した当初、函館にそんな“洒落た空間”が成立するわけがないと思っていたんです。
「こんなことをしてもいい場所なんだよ。」という許し。
でも、その予想は完全に僕の間違いでした。
函館蔦屋書店さんは、函館の人々の中に、そんな欲求があることをちゃんと知っていたんですよね。
そして、「こんなことをしてもいい場所なんだよ。」っていう、ある種の許しを函館の人々に与えた。
そうすると、ひとりが始め、ふたりが始め、自然とそんな行動を取り始めるようになるんですよね。
そして、最初はぎこちなかったとしても、スタッフのみなさんが懸命に働きかけた結果、それが今は見事に馴染んできた。
そうするうちに今度は、お客さん同士で承認し合うようになったんですよね。
「ここは、こういうことをする場所だよね」と。
ディズニーランドのキャストとゲストの関係性。
これは例えば、ディズニーランドを考えてみてもらえると、非常にわかりやすいのかなと。
ミッキーの耳をつけて人前を歩くって、やっぱり公道でやっていたら、おかしいことじゃないですか。
でも、ディズニーランドは、人々にそんな許しを与えたんですよね。
そして、許しを与える空間設計だけではなく、働きかける“キャスト”の存在も重要で、そのキャストの働きかけをみながら、ディズニーランドに遊びにきた人たちも徐々に馴染んでいったのだと思います。
まさに「キャストとゲストの関係性」で、キャストの働きかけによって、ゲストが許しを得て、そのゲストがまた別のゲストを承認する、というような。
その結果、あのような空間が誕生したのでしょう。
「他者への勇気づけ」だから価値がある。
で、ふと気づいたんですが、これって完全に「他者への勇気づけ」じゃないですか。
「そういう自分を発露してもいいんだよ。あなたは、あなたの思うように振る舞っていいんだよ」って。だから、ものすごく価値があるんだなあって思ったんです。
そして、オンラインでもオフラインでもこの秘訣は一緒だなって。
オンラインサロンなど、人々の居場所づくりをするときには、とても参考になる事例だと思います。
最後に
人々の潜在的な欲求が先にあるのか?それとも、空間が先にあるのか?
それは、にわとりとタマゴのような関係性ではあると思います。
しかし、もし人々の中に存在する、まだ発露していない”新しいわたし”のような機運を感じた場合には、それが発露しやす空間を設計し、健全に発露してくる許しを与え、互いに承認し合いながら、ゆっくりと馴染ませていくことが大切なんだろうなあと思いました。
いつもこのブログを読んでくださっている方々にとっても何かしらの参考になったら幸いです。