どうも鳥井です。
先日こんなツイートを読みまして。
今や、どんな大富豪でも、そこらへんのスタバでドヤリングしてる兄ちゃんでも、MacBookAirにiPhoneだ。日曜カメラマンでも世界最高レベルの写真家でもレタッチはPhotoshop。DJなら年収数十億のトップDJから、オイラみたいなヘボDJまでTRAKTORかSeratoか。
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年1月14日
人間が努力をしなければならない性質のもので、努力や才能の差で生まれている格差は、テクノロジーでなくなる運命なんですよね。怠惰な人も容量の良い優秀な人も、ルンバがあれば掃除にかかるコストは同じ。
テクノロジーが発達すれば努力や才能で差をつけるのが難しくなるので、いい気味です。
— けんすう(一般男性) (@kensuu) 2017年1月28日
倫理観と誠実さを持ち合わている人柄の良いヤツが、センスあると最強。
これらを読んで思ったことが、以下3つのツイートです。
努力やお金で大きく左右されなくなって、これからはどんどん「センス」の比重が上がっていくんだろうなあ。あとは、くいしんさんがよく言っているように「人柄」。そして、人柄を決めるのは、倫理観と誠実さ。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月28日
つまりこれからは、倫理観と誠実さを持ち合わている人柄の良いヤツが、センスあると最強ということか。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月28日
あ、あと「好奇心」も足しておきたい。倫理観と誠実さ、そしてセンスがあっても、尽きることのない好奇心がないと、すぐに時代の波に飲まれて消えていく。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年1月28日
センスとは何か?
じゃあ、そのセンスって何なのさ?という話になるかと思います。
僕が最近「センスとは何か?」の話で一番納得したのは、先日もご紹介した『ビジネス・フォー・パンクス』という書籍に解説を寄せていた、楠木建さんの話。
参照:経営者にとっていちばん大切なのは、顧客ではなく社員である。 | 隠居系男子
楠木建さんは、本書の中でセンスを以下のように定義しています。
「みんなができることが自分もできる」は、プロの世界ではゼロに等しい。ゼロから他の人にはできないようなプラスを創る。そのことにおいて「余人をもって代えがたい」とか「この人にはちょっと敵わない……」と思わせる──。これをセンスという。
(中略)
あっさり言ってしまえば、「普通の人」にとって、センスは継続的な練磨の賜物である。余人をもって代えがたいほどそのことに優れているのは、それに向かって絶え間なく努力を投入し、試行錯誤を重ねてきたからに他ならない。当然にして当たり前の話だ。
「努力の娯楽化」という発想の転換。
「あれ?やっぱり努力なんじゃん!」と思うじゃないですか。
いや、努力じゃないんです。「努力の娯楽化」なんです。この話は以下のように続きます。
僕の考える解決策はひとつしかない。それは「努力の娯楽化」という発想の転換である。客観的に見れば大変な努力投入を続けている。しかし当の本人はそれが理屈抜きに好きなので、主観的にはまったく努力だとは思っていない。むしろ楽しんでいる。
考えてみれば、それが「努力」かどうかは当事者の主観的認識の問題だ。「努力しなきゃ……」と思った時点でもう行く先は怪しい。だとしたら、「本人がそれを努力だとは思っていない」、これしかないというのが僕の結論である。
そう、だからやっぱり「好きなことをするしかない」んです。今の時代に生まれてしまった僕らは。
他人から見たら「努力」にしか見えないけれど、自分にとっては「娯楽」でしかないことを選ぶしかない。
下記の記事にも書きましたが、それこそが僕らの唯一の生存戦略。
参照:「何を書くか」じゃなくて「誰が書くか」が重要になってきた。 | 隠居系男子
最後に
僕にとって、今まで見聞きしてきたことが一気に繋がった瞬間でした。
改めて最後にまとめておくと、
・倫理観と誠実さを持ち合わせ、人柄が良いこと。
・好奇心を持ち続け、「好き」を追求していること。
・その上で、センスがあること。
今の時代、この三拍子揃っているヤツが最強です。
皆さんにとっても、何かしらの参考になれば幸いです。
それでは今日はこのへんで。
ではではー!