昨日、こんなツイートをしてみました。
まわりの目を気にせず、バカみたいに自由気ままにやっている人を見つけて「あの人は鈍感だから」と揶揄する状況をたまに見掛けますが、自由気ままな人って、往々にして自分の心の声に「敏感」なんですよね。一般的な人は、まわりの声に「敏感」で、自分の心の声に「鈍感」。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年4月15日
自分の心の声とまわりの声、どちらに対して「敏感」でどちらに対して「鈍感」であるかは、完全に個人の自由ですが、きっと今は自分の心の声に敏感な人のほうが、何事もうまくいきやすい時代に突入し始めているんだと思います。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年4月15日
じゃあ、なぜうまくいきやすくなるのか?
まず自分の心の声に敏感になると、まわりの目を気にせず、自分の「好き」に没頭して、時間を忘れて熱中できるようになります。
いつもこのブログで書いている「努力の娯楽化」の話です。
参照:倫理観と誠実さを持ち合わせ、人柄が良くセンスあるヤツが勝つ時代。 | 隠居系男子
繋がるひとが変わり始める。
そうすると、次に何が起きるかというと、繋がるひとが変わり始めるんです。
誰だって、仕事と割り切ってつまらなそうに取り組んでいる「下手なプロ」よりも、楽しそうに熱中している「上手い素人」と一緒に時間を過ごしたい(仕事を頼みたい)ですからね。
参照:「上手い素人」と「ヘタなプロ」の違い。 | 隠居系男子
だから、このコメントなんかは本当にそのとおりで。
同意です。しかも、感受性は自分の環境すら変えてしまう。周りの声に敏感な人は、周りの声に敏感な人ばかりのコミュニティに属すし、自分の内なる声に敏感な人は、同じく内なる声に敏感な人と関わりやすい。だから、良い意味でも悪い意味でも相乗効果が生まれる。 https://t.co/DL7uk7aFJm
— 浜田みか@ライター (@Mika_Ham1977) 2018年4月15日
自分の心の声に「敏感」なタイプの人は、また別の自分の心の声に「敏感」な人を見つけられるようになる。
自分が変化すると、目の前の相手がどちらの価値観軸で動いているひとなのか、手に取るように分かるようになるからです。
そうすると、お互いのスタンスに共感し合って、そこに繋がりが生まれてくる。まったく異業種だったとしても、です。
参照:全くジャンルの違う大人同士で仲が良いのは、隣の芝生が青く見えているわけではなく、その戦術やセンスに共感するから。 | 隠居系男子
それは会社(生業)単位・サロン単位・コミュニティ単位どのレイヤーでもそうだと思います。
参照:「会社・サロン・コミュニティ」3つに所属することが、社会に対する貢献感を得るためのカギとなる。 | 隠居系男子
まわりの声に「鈍感」なひとたちの方が、結果的にひとと繋がれる。
そうすると、逆説的なんですが、まわりの声に「鈍感」なひとたちの方が、結果的にひと繋がれるということになるんですよ。不思議なことに…。
あなたの行動を否定してくる人は、誰もまわりにいなくなる。
むしろみんなが応援してくれるようになって、そこで生まれたつながりをきっかけにして、個人では不可能なこともチームを組んで一緒に仕掛けられるようになるんです。
最後に
これまでの時代は、ある一定の集団の中で“和を成す”ために、否応なしにまわりの目線や声を気にする必要がありました。
でも、今は違います。
本当の意味で“和を成す”ために、まわりの声よりも、自分の心の声に「敏感」になったほうがいいんです。そのほうが本当の仲間を見つけられるようになる。
ソーシャルネイティブ世代はそれを直感的に掴み取って、実直に行動しているんだと思います。
ある一定の集団の中で、自分がやりたいことや興味があることに対して、他者と意見がバッティングしてしまったり楽しんでもらえそうにない時は、不毛な争いはせず、すぐ横にスライドさせたほうがいい。SNSを使えばいくらでも共感する仲間を集めることができる時代に、集団内で無理に争わない方がいい。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年4月13日
っていうことを、ソーシャルネイティブ世代は肌感覚で理解しているんだと思います。その結果、狭い集団内で無意味に対立するようなことはせず、「人それぞれだよねー」っていう価値観を至極当然のように獲得しているんだと思います。
— 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2018年4月13日
少し回りくどくて、わかりづらい文章になってしまったかもしれませんが、今日のブログが皆さんにとって何かしらの気付きにつながれば幸いです。